三木合戦ゆかりの地めぐり その42 ~山下城跡~
前稿の野上城跡(常泉寺)から直線距離にして4.5kmほど西の兵庫県加西市にある「山下城跡」を訪れました。
ここは三木合戦当時、別所長治の幕下・浦上久松の居城だったと伝わります。

城跡近くに常行院という寺院があり、その横に駐車場があります。
寺院前には城跡までの案内板が設置されています。

城跡に向かう遊歩道にも誘導表示が設置されていて、迷うことはありませんでした。

しばらく進むと、丘の麓に登城口が見えます。

おそらく、ここは大手口や搦手口といった正式な城の入口ではなく、城巡り客用に作られた登城口だと思います。

しばらく登ると、大きな堀切跡に目を奪われるのですが、写真じゃわかりづらいですね。

登城道は整備されていて、簡単に登れます。

二ノ丸跡です。
それほど広くはありません。

上から見下ろした二ノ丸跡です。

そして更に上を目指し・・・。

本丸跡です。

本丸跡には、常行院前にあった案内板より詳細は想定縄張り図が設置されています。
いま登ってきたルートは、左下の遊歩道入口から大堀切横を通って、二郭、本郭というルートです。

ここ山下城主の浦上久松は、三木城主・別所長治の幕下として兵を伴い三木城籠城戦に参陣、最後は長治と共に自刃して果てたと伝わります。
その久松の母は、黒田官兵衛孝高の父・黒田職隆の娘とも言われます。
ということは、久松は官兵衛の甥ということになりますね。
久松は長治と同じく若い城主だったのでしょうか?

山下城は戦国期の城としては珍しい平山城で、本丸は比高約30mの丘上にあります。
その本丸跡からの南西の眺望です。
左端に少しだけ覗いているのが、善防山城跡です。

本丸を下りて、大手口方向に向かいます。
立派な土塁跡です。

上の縄張り図でいうところの大手守備郭から見た北西の景色です。
春日山城跡のある飯盛山が見えます。

城跡の外周を散策しました。
田園が美しい。

南西から見た山下城跡です。
さぞ立派な城だったんでしょうね。

先ほどいた本丸跡を見上げます。
浦上久松が三木城に籠城したという記録は残っていますが、ここ山下城が三木合戦でどんな戦いをしたかはわかっていません。
これだけ立派な城ですから、別所方の拠点として何らかの役割を果たしていたのではないでしょうか?

ちなみに、ここ山下城は、南北朝時代の光明寺合戦にも関わっていたようです。
その話は、また別の機会で。
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by sakanoueno-kumo | 2016-11-30 18:20 | 三木合戦ゆかりの地 | Trackback | Comments(0)