太平記を歩く。 その16 「金剛山(國見城跡)・前編」 大阪府南河内郡千早赤阪村・奈良県御所市
千早城を背後から見下ろすように聳える金剛山を登りました。
見下ろすというか、千早城も上赤坂城も、金剛山系の一部なんですね。
その金剛山の最高峰に、楠木正成が築いたとされる國見城があったと伝わります。
金剛山を登ったのは、千早城を訪れた日とは別日です。
千早城から金剛山に登る登山道もあるのですが、この日は楽してロープウェイで。
ロープウェイは正成ラッピングです。
ロープウェイからの景観です。
ロープウェイを降りると、山頂までは緩やかな尾根伝いに登ります。
ゆっくり歩いて40分くらいの登山道です。
標高1,053mが大阪府最高地点だそうです。
ということは、金剛山の山頂は奈良県ということですね。
頂上近くまで登ると、「史跡金剛山」と刻まれた石碑と、木製の鳥居が表れます。
これは、山頂にある葛木神社への参道を意味する鳥居です。
その横に設置された説明書きです。
樹齢500年と推定される「仁王杉」です。
残念ながら、『太平記』の時代には及びません。
葛木神社にたどり着きました。
葛木神社の境内が、標高1,125mの山頂にあたります。
金剛山は、古代は高天山と呼ばれ、『日本書紀』によると、神武天皇(初代天皇)の大和平定の際、葛(くず)の網をきせて土賊を掩殺せられてから葛城という名がついたと言われています。
「人皇第十代崇神天皇戌寅七年 御造営神戸祠を附し給う。」とあり、神社の創始は約2000年前の崇神天皇(第10代天皇)の御代で事代主を奉祀していました。
また、『古事記』『日本書紀』では、雄略天皇(第21代天皇)が金剛山に御狩に登山した話が記されています。
葛木神社の向かいには、その「雄略天皇御猪狩の跡」があります。
その説明書きです。
神武天皇は別として、崇神天皇と雄略天皇は、神話に出てくる古代天皇のなかでは、実在していた可能性があると考えられている天皇ですね。
いずれにせよ、神話の時代まで遡れるほど歴史の深い山ということですね。
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by sakanoueno-kumo | 2017-02-22 02:15 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(0)