太平記を歩く。 その21 「建水分神社・南木神社」 大阪府南河内郡千早赤阪村
「たけみまくりじんじゃ」と読みます。
難しい読みですね。
ここは、楠木氏の氏神として崇拝された神社です。

その社伝によると、建水分神社の始まりは崇神天皇(第10代天皇)の時代に遡り、2000年以上の歴史があるとされています。
祭神はその名のとおり水を司る神で、崇神天皇5年(紀元前92年)、諸国が飢饉となったとき、各地に溜池や溝を作ることが勧められましたが、このとき、金剛葛城の山麓に水分神が祀られたのに始まるそうです。

かつては現在の場所から北に約100mの水越川のほとりにあったそうですが、楠木正成と鎌倉幕府軍との戦火に巻き込まれ、荒廃してしまいます。
そのため、建武元年(1334年)、後醍醐天皇の勅命を受けた楠木正成が、現在の場所に本殿、拝殿、鐘楼などを再建したそうです。

鳥居の扁額は、もともとは楠木正行によって奉納された後醍醐天皇宸筆といわれる木額ものがあったそうですが、表面の文字が摩滅したため、宝永2年(1705年)に金銅製にて模造されたものだそうです。
揮毫は、時の前大納言・葉室頼孝によるものだとか。

急な階段の上に社殿が見えます。

本殿は重要文化財に指定されているそうですが、一般に参拝できるのは、ここ拝殿前まで。

また、同じ境内には、摂社の南木神社(なぎじんじゃ)があります。
祭神は楠木正成。
「南木」は、「楠」の偏と旁をバラしたものですね。

建武3年(1336年)5月25日、正成が湊川の戦いで討死すると、翌・延元2年(1337年)に後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)自ら正成の尊像を彫り、建水分神社の境内に祀ったのが始まりと伝わります。
楠木正成を祀る神社は各地にありますが、ここ南木神社が最古だそうです。

その後、後醍醐天皇の皇子・後村上天皇(第97代天皇・南朝2代天皇)より「南木明神」の神号を賜ったそうです。
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by sakanoueno-kumo | 2017-03-02 20:50 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(0)