太平記を歩く。 その24 「嶽山城(龍泉寺城)跡」 大阪府富田林市
烏帽子形城から北西に4kmほどのところにある嶽山城跡にやってきました。
ここは、富田林市にある標高278mの嶽山山頂にあり、その中腹に龍泉寺があることから、龍泉寺城とも呼ばれています。
ここも、元弘2年(1332年)に楠木正成が築いたとされる楠木七城のひとつに数えられます。
嶽山山頂へは車で登れます。
現在、山頂には「かんぽの宿富田林」があり、城の遺構らしきものはほとんど残っていません。
かんぽの宿の建物北側にテニスコートがあるのですが、その裏手に石碑があるというので、行ってみました。
茂みのなかに入っていくと・・・。
ありました。
「楠公龍泉寺城」と刻まれた石柱です。
楠公没後600年祭記念として昭和15年(1940年)に建てられたそうです。
築城時の龍泉寺城は、正成の弟・楠木正季の居城だったと伝わり、正季は楠木龍泉とも呼ばれます。
正季は正成とともに湊川の合戦で命を落とします。
『太平記』巻34によると、正成の三男・楠木正儀の時代にも戦場になったようです。
詳しくは上の説明板をお読みください。
嶽山山頂から東を望むと、金剛山、葛城山が聳えます。
ここを訪れたのは夏真っ盛りの8月6日、今にも雨が振りそうな空ですが、このあと、強烈なゲリラ豪雨に見舞われました。
せっかくなので、中腹の龍泉寺にも立ち寄りました。
寺伝によれば推古天皇2年(594年)に蘇我馬子が勅命を受けて建立したとされます。
天長5年(828年)淳和天皇により寺は再建され、勅願寺として龍泉寺医王院の寺号を賜ったそうで、東西両塔が建てられ、大小25の塔頭が立ち並ぶ大寺院となったといいます。
しかし、山頂に楠木正成が城を築いたことで戦火に巻き込まれ、ほとんどが焼失しました。
龍泉庭園は、国指定の名勝となっています。
南河内には楠木正成ゆかりの城はまだまだあります。
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by sakanoueno-kumo | 2017-03-09 21:56 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(0)