太平記を歩く。 その25 「持尾城跡」 大阪府南河内郡河南町
前稿で紹介した嶽山城(龍泉寺城)から千早赤阪村を挟んで6kmほど北西にある、持尾城跡を訪れました。
ここも、元弘2年(1332年)に楠木正成が築いたと伝えられる城です。
持尾地区は道が狭く車を停める場所がないと聞いたので、途中で車を置いて歩きます。
こんな誘導サインがあるので、すぐにわかります。
ここから西側の眺望です。
右に見えるのが某教団の平和の塔、左に見えるのが嶽山城(龍泉寺城)のある嶽山です。
嶽山の拡大です。
山頂に見えるのが「かんぽの宿」です。
前方に見えるのが、持尾城跡のある山(丘?)です。
標高336mあります。
集落全体が坂道しかありません。
二ノ丸跡らしき削平地に、眞念寺という小さなお寺があります。
同じく二ノ丸跡には、磐船神社という古い神社が鎮座します。
その向かい側に、本丸跡に登る登城口があります。
その側に設置された説明板。
本丸跡です。
小さな石碑と説明板が設置されています。
説明板によると、持尾城は元弘2年(1332年)に楠木正成が築いた城のひとつで、平岩氏がたてこもって戦ったといわれるそうです。
大和国から河内国へ進入する北条幕府軍の様子がよく見えるため、のろし台の役割を果したのではないかと思われるそうです。
本丸跡はそれほど広くなく、小さな砦のような城だったのではないでしょうか?
石碑の横にはあずまやが建てられています。
本丸跡から見る西の眺望です。
樹が邪魔だなあ。
ここからも、嶽山城(龍泉寺城)が見えます。
遠く北西には、大坂市街地が見えます。
高く聳えているのはあべのハルカス。
こっちは南西の眺望。
千早赤阪村方面です。
さて、次回も楠木ゆかりの城跡です。
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by sakanoueno-kumo | 2017-03-10 18:30 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(0)