太平記を歩く。 その56 「名和一族郎党の墓」 鳥取県西伯郡大山町
前稿で紹介した長綱寺の裏山に、名和一族郎党の墓と伝わる300基以上の五輪塔があります。
墓所への参道は、境内に誘導板が設置されているので、すぐにわかります。

急な階段を登ります。

ここが、その場所です。

この五輪塔群は、名和長年が船上山で幕府軍と戦ったときに戦死した一族を祀ったものか、あるいは、そのとき館に残った一族の女性や子どもたちの墓とも伝えられています。

後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)が都を追われて足利尊氏の天下になったとき、足利方によって墓を荒らされることを心配した長年の子孫が見つからないように土中に埋めたといわれ、それが、昭和5年(1930年)になって偶然、地元の農家の人によって発見されたそうです。

発見当時は何の墓かわからなかったそうですが、名和長年の妹婿の家に伝わる古文書によって判明したそうで、その後、現在のかたちに祀られたそうです。

ほとんどが五輪塔ですが、最上段の中央に1基だけ、大きな宝篋印塔があります。

これが、名和長年の墓と考えられているそうです。

参道から西を見下ろします。
右端に見えるのが、日本海です。

下山して長綱寺とその裏山を見上げます。
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by sakanoueno-kumo | 2017-05-24 00:04 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(0)