太平記を歩く。 その79 「宝林寺(円心館)」 兵庫県赤穂郡上郡町
松雲寺や赤松居館跡がある赤松から千種川を挟んだ西側の河野原に、宝林寺という寺院があるのですが、ここは、赤松則村(円心)の三男・赤松則祐が、円心の死後、播磨国守護・惣領家を継いだときに建てたといわれています。
もともと宝林寺は円心の生前から、則祐の自領だった備前国新田荘中山に創建されていましたが、惣領を継いだ後の文和4年(1355年)にこの地へ移されたとつたわります。
その後、赤松惣領家の氏寺として、代々手厚く保護されました。
かつては河野原集落の全域が境内地であったとみられているそうですが、戦国時代には赤松氏とともに衰微したとみられています。
現在、境内には赤松氏の資料館「円心館」が設けられ、館内には、赤松則村(円心)、赤松則祐、雪村友梅(別法和尚説も)、覚安尼(千種姫)の木坐像が安置されています。
本来は撮影禁止ですが、館を管理する松雲寺の住職さんに、フラッシュをたかないという条件で特別に撮影の許可をいただきました。
まずは赤松則村(円心)坐像。
右手に扇、左手に刀を携えた法体姿で、禅僧の九条袈裟と異なる五条袈裟を掛けているは、円心が半僧半俗の沙弥(しゃみ)であったことを示すそうです。
アップです。
眼球は水晶球だそうですが、眼光鋭く、圧倒されます。
こちらは、円心の三男・赤松則祐坐像。
ここ宝林寺の建立者ですね。
こちらも右手に扇を持っていますが、刀は携えていません。
則祐坐像は、元は京の建仁寺にあったのが、後に宝林寺に移されたといわれているそうです。
禅僧の九条袈裟を掛けた姿は、若くから出家して僧侶のまま武将として活躍した則祐の人生を物語ります。
アップです。
円心に比べると、顔が小さく首も細いようです。
こちらは雪村友梅坐像。
宝林寺の開山「別法和尚」坐像と伝えられていますが、実際の開山・雪村友梅の像とみられるそうです。
雪村友梅は、「その74」で紹介した法雲寺の開山でもあります。
その隣の坐像は、覚安尼坐像。
覚安尼は、円心もしくは則祐の娘千種姫が出家剃髪した姿と伝えられます。
友梅のアップです。
この際なので、いろんな角度から。
ご住職の話によれば、坐像を調査したところ、のちの時代に手を加えた修理銘が見られるため、「国宝」扱いににはならなかったそうです。
でも、鎌倉彫刻の名残をとどめる価値を認められ、「赤松三尊像」として兵庫県の指定文化財となっています。
館内には、他にも甲冑や太刀、書簡など、赤松氏関連の史料が展示されています。
見学料300円は安いです。「太平記を歩く。」シリーズの、他の稿はこちらから。
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by sakanoueno-kumo | 2017-06-30 21:48 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(0)