太平記を歩く。 その82 「大嶋城跡」 兵庫県相生市
「その72」で紹介した白旗城から南東7kmほど下った相生湾の入江にある大嶋城跡を訪れました。
ここも、赤松則村(円心)に関係する城です。
写真に写るおわん型の山が、大嶋城跡と伝わる大島山です。
かつて大島山は蝦江(相生湾)に浮かぶ離れ島だったそうで、長治元年(1104年)、播磨国の海老名家季がここに城郭を築いたのがはじまりといわれています。
海老名氏は、代々矢野荘別名の下司職、矢野荘例名の地頭職等に任ぜられた豪族です。
ここを訪れたのは4月、桜が満開の日でした。
登山口には、「大嶋城址」と刻まれた石碑が建てられています。
側面には説明書きが。
建武3年(1336年)5月19日、児島高徳の父・和田範長によって火を放たれ、灰燼に帰したとあります。
大島山の由来です。
この説明書きによれば、保元2年(1157年)に小千通清が架僑し、次に赤松氏が船橋をかけて、赤松則村(円心)のときに、ここに城を築いたとあります。
その後、赤松氏の家臣・宇野弥三郎重氏と速弥太の兄弟が城主となったとあります。
そして、焼失したのは嘉吉の乱のときと伝えています。
石碑の説明と少し違いますね。
山頂にも、説明板が設置されていました。
こちらの説明では、石碑と同じく海老名家季が築城主としています。
建武3年(1336年)の白旗城の戦いのとき、7代目海老名景知は赤松方に属し、弟の詮季や同族の泰知と共に白旗城にたてこもって戦功をあげましたが、留守にしていたここ大嶋城は、新田義貞軍によって焼き落とされたといわれています、とあります。
築城、落城共に、諸説あるようですね。
現在、山頂には住吉神社と善光寺が並んで鎮座しています。
大嶋城は別名・浜御殿と呼ばわれるほど、美しい城だったといいます。
かつては離れ島だったことから、洋上の要塞といった感じだったのでしょうね。「太平記を歩く。」シリーズの、他の稿はこちらから。
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by sakanoueno-kumo | 2017-07-06 23:18 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(0)