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太平記を歩く。 その97 「本間重氏遠射之跡」 神戸市兵庫区

「湊川の戦い」で足利の陸軍と対峙したのは楠木正成軍でしたが、海から攻め寄せてくる水軍と戦ったのが、新田義貞軍でした。

義貞は弟の脇屋義助とともに、足利尊氏水軍の上陸地点を経ヶ島と考え、これを迎え討つべく、大輪田ノ泊・経ヶ島付近に陣を布きます。

経ヶ島とは、平清盛がこの地に築いた人工の島です。


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戦いの舞台となった和田岬は、現在は三菱重工の敷地となっていて史跡といえるものはありませんが、近くの和田岬小学校の校庭に、「本間重氏遠射之跡」と刻まれた石碑があります。


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『太平記』巻16「本間孫四郎遠矢事」によると、海から攻め寄せてきた足利の大軍に対して、新田方の本間孫四郎重氏という弓の名手が、沖に浮かぶ足利方の軍船めがけて遠矢を放ったところ、魚をくわえた海鳥の羽をつらぬき、それらもろとも敵の船に飛び込んでいったといいます。


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さらに『太平記』によれば「その矢六町あまりを越て」とあり、矢が六町(約650m)も飛んだということが記されています。


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これ以降、この地は「遠矢の浜」と呼ばれるようになったといい、浜が埋め立てられた現在でも、「遠矢町」「遠矢浜町」といった地名が当時を偲ばせてくれます。




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by sakanoueno-kumo | 2017-08-02 22:31 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(0)  

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