太平記を歩く。 その98 「生田の森」 神戸市中央区
足利尊氏の水軍を討つべく経ケ島に陣を布いた新田義貞でしたが、足利軍の巧みな戦略の前に押され、中央区の生田の森まで後退することになります。

すでに楠木正成軍を討った足利軍は、ここ生田の森で三方から集中して新田軍に襲いかかります。
『太平記』巻16「新田殿湊河合戦事」によると、新田軍は奮戦し、合戦は「新田・足利の国の争ひ今を限りとぞ見えたりける」との激しさを見せます。

合戦の規模からすると、ここ生田の森での戦いが、「湊川の戦い」の本戦と言っていいかと思います。
しかし、結局は衆寡敵せず。
兵力差は歴然としており、新田軍は丹波路めざして敗走することになります。

現在「生田の森」は、生田神社境内の北側に、少しだけその名残を残しています。

「生田の森」は、「湊川の戦い」以外でも、12世紀末には源氏と平家の間で行われた「一ノ谷の戦い」の舞台にもなり、また、16世紀末には、織田信長軍と荒木村重の間で行われた「花隈城の戦い」の舞台にもなりました。
いつの時代でも、砦となる立地条件は同じということですね。

余談ですが、ここ生田神社は神戸市いちばんの繁華街である三宮のど真ん中にあり、近年では、女優の藤原紀香さんとお笑いタレントの陣内智則さんが結婚式をあげた神社として、全国に知られるところとなりました。

以来、ここで結婚式をあげたいというカップルが増えたそうで、わたしが訪れたこの日も、1組のカップルが結ばれていました。
キッカケとなったふたりは、別れちゃいましたけどね(笑)。

話を戻して、『太平記』によると、「生田ノ森の東より丹波路を差(さし)てぞ落行ける」とあります。
次回は落ち延びる新田軍の足跡を追います。「太平記を歩く。」シリーズの、他の稿はこちらから。
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by sakanoueno-kumo | 2017-08-03 23:47 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(0)















