太平記を歩く。 その116 「新善光寺城跡(正覚寺)」 福井県越前市
「その114」で紹介した杣山城跡から6kmほど北上した場所にある新善光寺城跡を訪れました。
ここは現在、正覚寺という寺院になっています。
山門の手前にある「正覚寺」の寺号碑には、「新善光寺城跡」という文字も刻まれています。
山門には、「旧府中城表門」という立札があります。
府中城とは、戦国時代に前田利家が築いた城で、新善光寺城とは別のものです。
山門の横には「新善光寺城址」の石碑が。
新善光寺城の築城主は越前国守護の斯波高経です。
つまり、足利方の拠点だったわけですね。
延元元年/建武3年(1336年)には杣山城主の瓜生保の軍勢によって一度落とされていますが、すぐに足利方が奪回しています。
金ヶ崎城の落城後に杣山城に逃れていた新田義貞は、その後、四散していた軍を糾合して勢力を盛り返し、延元3年/建武5年(1338年)2月、再び打って出て足利方の斯波高経軍と日野川で激戦を交えます。
この戦で府中(武生)の町は焦土と化し、高経は敗走して新善光寺城は義貞の手に落ちました。
現在、境内の北側にある総社大神宮との境界に、わずかに土塁跡が残されています。
その説明版です。
新田方の手に渡った新善光寺城には、その後、義貞の弟・脇屋義助が入りますが、やがて義貞が戦死すると、義助は美濃へと敗走します。
その後、正平21年/貞治5年(1366年)には廃城となり、良如上人によって正覚寺が建立され、現在に至ります。
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by sakanoueno-kumo | 2017-09-03 09:00 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(0)