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太平記を歩く。 その125 「内山永久寺跡(萱御所跡)」 奈良県天理市

延元元年/建武3年(1336年)12月21日、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)は足利尊氏によって幽閉されていた花山院を抜け出し、吉野山新たな朝廷を樹立するに至るのですが、吉野山に向かう道中、大和路の内山永久寺に一時身を隠していたと伝えられます。


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内山永久寺は平安時代後期の永久2年(1114年)に鳥羽天皇(第74代天皇)の勅願により興福寺の僧・頼実が創建したと伝えられ、往時は壮麗な大伽藍を誇ったといわれますが、明治年間の廃仏毀釈より徹底的な破壊を受け、いまはその敷地のほとんどが農地となっています。


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唯一痕跡として残るのが、境内のほぼ中央にあったされる本堂池


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長閑な風景です。


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池の畔にある「内山永久寺記念碑」

裏には「明治廿二年四月建立」とあります。


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その石碑の建つ場所から、説明板のようなものが見えます。


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こちらがその説明板と、江戸時代末期に刊行された「名所図会」の絵図。


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絵図中央に赤く「現在地」の標示があり、その横に大きな池がありますね。


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絵図の池の左隣には、「後醍醐帝萱御所旧跡」と記された一角が確認できます。

ここが、後醍醐天皇が一時身を潜めていたとされる場所ですね。


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現在その跡地には、「萱御所」と刻まれた石碑が建てられています。


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『太平記』巻18「先帝潜幸芳野事」によると、12月21日の夜に花山院を抜け出した後醍醐天皇は、翌22日の夜が明ける前に梨間の宿(城陽市)に入り、そこから張り輿(全体を畳表で張った略式の輿)に乗って白昼の大和路を南下し、夕暮れどきにここ内山永久寺にたどり着きます。

その翌日の23日夜には賀名生(西吉野)に移っていますから、ここ内山永久寺に身を潜めていたのは、わずか一晩、それも、数時間のことだったかと思われます。


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わずか数時間滞在しただけで後世に「萱御所」と称されて石碑まで建っちゃうんですね。

まあ、古代神話時代の天皇明治天皇(第122代天皇)以降の近代の天皇は別として、ほとんどの天皇は一生京の都を離れることなくその生涯を終えられたわけですから、天皇が訪れた地というだけでも、たいへんな事だったのでしょうね。

そう考えれば、後醍醐天皇は比類なきアクティブ天皇だったといえるでしょうか。


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集落の高台に展望台が設置されていたので、上ってみることに。


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文禄4年(1595年)には豊臣秀吉から971石の寺領が与えられ、大和国では東大寺、興福寺、法隆寺に次ぐ待遇を受ける大寺となり、その規模の大きさと伽藍の壮麗さから、江戸時代には「西の日光」とも呼び習わされたそうですが、今はその痕跡はまったく見られず、見渡す限りの農地です。


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池の北側の畔には、松尾芭蕉の句碑があります。

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「うち山やとざましらずの花ざかり」宗房

「宗房」とは、芭蕉の若き日の号だそうで、まだ出生地の伊賀上野に暮らしていた頃の作品だそうです。

この句意にあるように、現在でも春になるとこの池は桜で埋め尽くされるそうです。

今度は桜の季節に訪れてみることにします。



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by sakanoueno-kumo | 2017-09-17 00:28 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(1)  

Commented by 大町阿礼 at 2017-09-18 18:15 x
記紀の世界も謎が多くて面白いですね。

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