人気ブログランキング |

太平記を歩く。 その144 「如意輪寺」 奈良県吉野郡吉野町

前稿で紹介した勝手神社から、中の千本の谷を隔てた山の中腹に、如意輪寺があります。

ここは、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)が吉野に行宮を定めた際、勅願所となった寺院です。

本堂裏山には、後醍醐天皇陵があります。


e0158128_22524717.jpg

寺の歴史は古く、醍醐天皇(第60代天皇)の延喜年間(900~922年)に、日蔵上人により開かれたと伝わります。


e0158128_22575021.jpg

正平2年/貞和3年(1347年)12月27日、楠木正行、正時兄弟が、一族143人を引き連れ、まず吉野の皇居に参内して後村上天皇(第97代天皇・南朝第2代天皇)に別れを告げたあと、ここ如意輪寺本堂の裏山に鎮まる後醍醐天皇陵に詣で、寺の門扉に辞世の句を矢じりで彫りました。


「かへらじと かねて思へば梓弓 なき数に入る 名をぞとどむる」


天皇の勅願所でありながら、本堂には、楠木家の家紋・菊水の幕が張られていました。


e0158128_22555316.jpg

正行たちはそれぞれの名を過去帳にとどめて、髪を切って仏前に投げ入れ、四條畷の戦いに出陣しました。

e0158128_23020896.jpg


「正行公埋髻墳」と刻まれた石碑です。

ここに、143人の髻が埋められているそうです。


e0158128_23021249.jpg

こちらは、「楠左衛門尉髻塚碑」

慶応元年(1865年)、津田正臣によって建てられたものだそうです。


e0158128_23034391.jpg

こちらは「至情塚」

後村上天皇より正行の奥方にとの話があった弁内侍が、正行討死のあと、その菩提を弔うために尼僧となり、その黒髪を埋めたところです。


e0158128_23054167.jpg

撮影禁止だったので写真はありませんが、宝物殿には、正行が記したと伝わる辞世の扉や、後醍醐天皇御物などの寺宝が数多く展示されていました。


e0158128_23102918.jpg

宝物殿の側の庭園には、向かい合うふたりの石像が。

おや?・・・これ、どこかで見覚えが・・・。


e0158128_23104951.jpg

そうです。

「その87」で紹介した櫻井驛跡(楠公父子訣別之所)にあった、楠木正成・正行父子別れの像ですね。


e0158128_23105387.jpg

あちらは近年作り変えられたものでしたが、こちらの像は古そうです。


e0158128_23105673.jpg

正行、なんかみたいですね(笑)。


e0158128_23120509.jpg

境内の最も高い場所にある多宝塔です。

いつの時代に建てられたものかは、わかりませんでした。


e0158128_23133087.jpg

そして最後に、後醍醐天皇御霊殿です。

この中に、後醍醐天皇自作の木像が安置されているそうですが、この日は公開されておらず、観ることができませんでした。


e0158128_23155777.jpg

細かい彫刻に目を奪われます。


e0158128_23160099.jpg

かつては色鮮やかだったことがうかがえますね。


e0158128_23160326.jpg

さて、次稿は本堂裏山にある、後醍醐天皇陵を訪れます。




「太平記を歩く。」シリーズの、他の稿はこちらから。

 ↓↓↓

太平記を歩く。


ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
   ↓↓↓


by sakanoueno-kumo | 2017-10-18 23:59 | 太平記を歩く | Comments(0)  

<< 太平記を歩く。 その145 「... 太平記を歩く。 その143 「... >>