太平記を歩く。 その151 「北畠顕家供養塔」 大阪府堺市

前稿で紹介した阿倍野区にある北畠顕家の墓とは別に、堺市にも顕家の墓があります。


e0158128_00154380.jpg

阿倍野の墓は江戸時代に建てられたものですが、こちらは昭和12年(1936年)に顕家600回忌に町の有志によって建てられたものだそうで、墓というより、供養塔と言ったほうが正しいでしょうね。


e0158128_00065805.jpg

『太平記』では、顕家戦死の地摂津阿倍野と記されているので、一般には前稿の墓が有名ですが、近年の研究では、ここ堺市の石津で討死したという見方が主流だそうです。


e0158128_00154776.jpg

『神皇正統記』などでは、延元3年(1338年)5月22日朝、足利軍高師直率いる1万8千と戦い、ここ摂津国石津で戦死したと伝えています。

享年21。


e0158128_00105565.jpg

供養塔の前には、「此附近北畠顕家奮戦地」と刻まれた石碑があります。


e0158128_00095231.jpg

供養塔です。

「源顕家公 殉忠遺蹟供養塔 南部師行公」

と刻まれています。

南部師行とは、顕家と共にこの地で戦死した南朝方の武将です。


e0158128_00084310.jpg

その南部師行から数えることの33代目にあたる子孫の男爵・南部日実氏が揮毫した慰霊碑です。

残念ながら、右上が欠けてしまっています。


e0158128_00120509.jpg

隅にある「南無阿弥陀仏」と刻まれた石碑の裏には、「正徳3年(1711年)建立、行家」と刻まれており、古くからこの地が古戦場であったと知られていたことがわかりますが、この稿を起稿するにあたってネットで調べていると、行「家」ではなく、「蒙」の草冠がない字だそうです。

たしかに言われてみれば、そうです。


e0158128_00130026.jpg

これは、当時、徳川幕府の目を恐れた人たちが、こういう形で顕家の霊を弔ったものだそうです。

へぇ~、ですね。


e0158128_00134943.jpg

慰霊碑の前に流れる石津川です。

おそらく、当時は浜辺だったんじゃないでしょうか。




「太平記を歩く。」シリーズの、他の稿はこちらから。

 ↓↓↓

太平記を歩く。


ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
   ↓↓↓


by sakanoueno-kumo | 2017-10-28 09:32 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(2)  

トラックバックURL : https://signboard.exblog.jp/tb/26138320
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
Commented by heitaroh at 2017-12-08 12:08
まだ、堺には行ったことが無いので、そのうち、行きたいなとは思っているのですが、ここは是非、行きたいですね。
道は往時はあぜ道でしょうか。
魅力的な場所に見えます。
Commented by sakanoueno-kumo at 2017-12-08 17:55
> heitarohさん

堺を中心とした和泉国には、江戸時代の史跡がたくさんあります。
でも、太平記などの中世の史跡は、お隣の河内国に多いです。
あと、堺は、大仙古墳を代表とする大型古墳がわんさかあります。

<< 太平記を歩く。 その152 「... 太平記を歩く。 その150 「... >>