太平記を歩く。 その161 「吉田兼好隠棲庵跡」 大阪市阿倍野区

大阪市阿倍野区にある正圓寺の境内に、かつて吉田兼好隠棲地があったことを示す石碑があると知り、訪れました。

吉田兼好といえば、『徒然草』の作者として名高い歌人随筆家という認識ですが、元は後宇多天皇(第91代天皇)に仕える北面の武士でした。

正中元年(1324年)に比叡山剃髪し、京都吉田山に隠れ住み、南北朝時代に入ると戦乱を避けてこの地に移り住み、貧自適な暮らしを営んでいたと言われています。

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そんな兼好をなぜこのシリーズに加えたかというと、『太平記』巻21「塩冶判官讒死事」に、兼好が出てくるんです。

その内容は、高師直塩谷判官高貞の奥さんに横恋慕し、そのラブレター代筆を兼好に頼んだという話です。

以下、原文。


哀なる方に心引れば、高志浜のあだ浪に、うき名の立事もこそあれ。」と、かこち顔也。侍従帰て角こそと語りければ、武蔵守いと心を空に成て、度重らばなさけによはることもこそあれ、文をやりてみばやとて、兼好と云ける能書の遁世者を呼寄て、紅葉重の薄様の、取手もくゆる計にこがれたるに、言を尽してぞ聞へける。返事遅しと待処に、使帰り来て、「御文をば手に取ながら、あけてだに見給はず、庭に捨られたるを、人目にかけじと懐に入帰り参て候ぬる。」と語りければ、師直大に気を損じて、「いやいや、物の用に立ぬ物は手書也けり。今日より其兼好法師、是へよすべからず。」とぞ忿ける。


塩谷判官高貞の奥さんはラブレターを見もせずに、箱ごと庭へ投げ捨ててしまうんですね。

これに怒った師直は、兼好に八つ当たりして、出入禁止にしてしまいます。

なんて自分勝手な話でしょう。

そんなこともあって、兼好はこの地で隠棲したのかもしれません。


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石碑は、「吉田兼好法師隠棲庵址」「兼好法師の藁打石」と刻まれたものがあります。

藁打石と伝えられる大石は、元は当寺院の北の方に丸山古墳があり、その近くにあった柘榴塚の大石が伝えられたものだそうで、現在は2つの石碑の中央にある「大聖歓喜天」と刻まれた標碑の礎石が、その藁打石と言い伝えられているそうです。


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こちらにも、「兼好法師隠棲庵址」の石碑が。


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こちらは句碑。

「兼好の 午睡さますな 蝉しぐれ」燦浪

とあります。


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こちらは『徒然草』の冒頭ですね。

「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。」


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ちなみに、ラブレター作戦に失敗した高師直は、塩冶判官を陥れて彼女を手に入れるため、諸方に讒言を行い、追い詰められた判官が自国に逃げ落ちるのを追撃し、最後は判官も奥さんも死んでしまいます。

ひどい話ですね。




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by sakanoueno-kumo | 2017-12-05 22:58 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(4)  

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Commented by heitaroh at 2017-12-07 20:13
高師直は曹操と同じで少々、悪役を押しつけられているのではないかという気がします。北朝方についた者たちのことを考えれば、尊氏のことをあまり、悪く言うわけにもいかずと。その点、高師直なら思い切り、悪者にしていいだろうと。
Commented by sakanoueno-kumo at 2017-12-08 00:12
> heitarohさん

たしかに、おっしゃるような側面はあったかもしれませんね。
この後起こる観応の擾乱でも、足利直義vs高師直といった見方になっていますが、実際には、やはり尊氏vs直義の兄弟喧嘩ですよね。
ただ、この吉田兼好のラブレター代筆事件に関しては、政治的な背景はありませんから、これがもし本当の話なら、師直の横暴といえるのではないでしょうか?
Commented by heitaroh at 2017-12-08 11:16
師直は確かに勇将にありがちな粗暴な面があったのかもしれませんが、何の根拠も無いのに、全然、関係ない方面に結びつけて非難するというのは昨今のネットでよく見かける手法。後世の脚色というのも結局、そういうものかと。
Commented by sakanoueno-kumo at 2017-12-08 15:58
> heitarohさん

なるほど、そう考えれば、このラブレター代筆も、後世の脚色かもしれませんね。

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