おんな城主 直虎 第49話「本能寺が変」 ~本能寺の変~神君伊賀越え~
「敵は本能寺にあり!」
過去、大河ドラマにおいて数々の役者さんが発してきたこの台詞ですが、おそらく、明智光秀を演じられた役者さんは、みなさん、配役が決まったときからこの台詞をどのように吐くかを悩まれるんでしょうね。演出家さんや脚本家さんの意向とかもあるのでしょうが、光秀のいちばんの見せ場ですからね。この台詞を吐くために他の場面があると言っても過言ではないかもしれません。今回のそれは、躊躇している自身に言い聞かせるよう呟く、といった演出でしたね。このパターンは、はじめてなんじゃないでしょうか。
徳川家康の饗応役を解かれた光秀に代わって、織田信長自ら膳を運んでいましたが、これは、『信長公記』にも記されているエピソードで、史実とされています。でも、実際に信長に配膳されたら、ドラマのように家康たちは凍りついていたでしょうね。どれほど豪華な料理でも、味がわからなかったでしょう。
今回の「本能寺の変」は、信長が家康とその重臣たちを安土城に招き、接待すると見せかけて殺してしまおうという計画を、事前に明智光秀が家康と今川氏真に情報を漏らし、逆にその機に乗じて信長を討とうという光秀の謀略で、しかし、光秀が想定外の備中援軍を申し付けられてしまったため、徳川一行が堺見物をしている最中、備中に向かう兵を返して本能寺で事に及んだという設定でした。まあ、「本能寺の変」に至る経緯は諸説ありますから、どのような描き方があってもいいと思いますが、今回の設定は、結局、よくわからないまま終わったという感じです。そもそも、信長は光秀がいうように、家康を殺すつもりだったのでしょうか?
家康に贈る茶道具を選んでいる信長の姿や、「殺気が感じられない」と言った家康の台詞などから、どうも、家康を殺すという計画は最初からなかったと見ていいんでしょうね。であれば、光秀はなんでそんな嘘をついたのでしょう? 家康や氏真に計画を明かして味方に引き入れる、というわけでもなさそうでしたし、であれば、計画を明かす必要がないというか、むしろ、家康や氏真が信長に計画を漏らす危険だってあったわけで、そんなリスクを背負ってまで、ふたりに謀略を打ち明ける理由が見当たりません。光秀にとって、何の得もないですからね。結局、ドラマでも、徳川一行は光秀の計画を知っていたせいで必要以上にオロオロしただけで、光秀の謀略には何ら役に立ってないですからね。いったい光秀は何がしたかったのでしょう? どうも、消化不良な「本能寺の変」でした。
さて、次回は最終回ですね。井伊直虎が死んだのは、本能寺の変から約2ヶ月半後のことだったと言われています。でも、ドラマの直虎はピンピンしていて、そんな兆候は微塵にも感じられません。この感じでは、病死とかではなさそうですね。どんな最期に描かれるのか、楽しみにしましょう。
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by sakanoueno-kumo | 2017-12-11 15:55 | おんな城主 直虎 | Trackback(1) | Comments(2)
皆さんこんばんは。今回は去年の大河ドラマ『おんな城主直虎』の感想シリーズということで、第46~50回までの感想を書きます。ついにラストですね。一昨年の『真田丸』に比べたら随分早く終うことができました 笑まずはあらすじ。織田信長(市川海老蔵)に武田との内通を疑わ... more
敢えて、上様と言わず。
「敵は本能寺にあり」では兵に動揺が走るから大きな声では言えないでしょう。
まあ、幕僚だけに言った可能性はありますが、表向きはあくまで、「閲兵のために本能寺に行く」ということにしておいて、中隊長クラスにもせいぜい、家康暗殺くらいでとどめておかないと。
やはり、生真面目な光秀は、蔑んでもそこは「右府様」と言うんですね。
「信長公父子を弑する!」ではないんですね。
なるほど。
末端の兵たちは、誰を攻めているのかわからず戦っていたということですね。
たしかにそうだったかもしれません。
のちに真実を知って愕然としたとか。
だから山崎で勝てなかったのかもしれませんね。