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おんな城主 直虎 総評

 2017年大河ドラマ『おんな城主 直虎』の全50話が終わりました。毎年、ブログで大河ドラマレビューを始めてから10作目にあたる本作でしたが、制作発表があった当初、わたしは井伊直虎という人物のことをほとんど知らず、昨年、関連本を数冊読みかじっただけのにわか知識のみでレビューに臨んだのですが、どうにかこうにか今年も完走できて安堵しています。ときには間違った発言をしていたときもあったかもしれませんが、そこは素人の趣味でやってるブログということで、ご容赦ください。で、最後に、例年どおり今年の作品についてわたしなりに総括します。


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 井伊直虎いう史料に乏しい人物を主人公とした今年の作品でしたが、わたし個人的には、古い大河ファンから挙って酷評されているほど酷い作品だったとは思っていません。少なくとも、女性を主人公にした近年の作品のなかでは、上位の出来だったんじゃないでしょうか? ただ、史料が少ない分フィクションが多く、その創作部分は玉石混交でした。秀逸な創作とそうでない創作の差が激しかった、というのが正直な感想です。


 そのなかでも、最も秀逸だったのは、おそらく多くの方が思っていたであろう小野但馬守政次の扱いですね。『井伊家伝記』の記述では井伊谷を横領した「悪役」として伝わる政次ですが、その『井伊家伝記』は徳川を批判することが許されない江戸時代中期に書かれたもので、小野を悪役に仕立てることで、徳川や井伊の大義名分を確保した可能性が指摘されている史料です。そこに着目してか、今回のドラマでは、奸臣を装いながら、実は誰よりも井伊家のことを考え、そして直虎のことを助けた忠臣として描かれました。フィクションですが、あながち的外れではなかったかもしれません。いつの時代でもそうですが、歴史とは、勝者が勝者の都合によって作るもので、歴史に客観的な正史など存在しません。小野氏の子孫の方にとっては、汚名返上のドラマでしたね。


 しかし、直虎と政次のふたりの関係はバッドエンド。これは史実であり、変えることはできません。ここをどう描くのかが、物語の最大のポイントだったといえます。で、生まれたのが、あの「神回」と言われた第33話「嫌われ政次の一生」でした。政次の処刑を直虎にどう受け止めさせるのかを注目していたのですが、まさか、直虎自身に手を下させようとは・・・。度肝を抜かれました。長年、大河ドラマを観続けているわたしですが、その後、数日間、放心状態となるほどの衝撃を受けたシーンは、はじめてだったかもしれません。


 あと、第31話「虎松の首」も良かったですね。身代わりとなった名も無き少年の首を涙ながらに抱えてをあげる直虎のシーンは、泣かされました。女性が主人公の大河では、血生臭いシーンをあまり描かない作品が多かったと思うのですが、今回は違いましたね。綺麗事だけでは解決できないことがあるということも、しっかり描かれていました。それから、第32話「復活の日」で、政次が家臣たちの前で井伊家再興を目指す演説をするシーンも見応えがありましたよね。とにかく、第30話から第33話あたりは、素晴らしい出来だったと思います。


 ただ、残念なことに、物語の中盤であまりにも大きなクライマックスを作ってしまったため、その後のドラマでそれを越える回がなく、イマイチ盛り上がりに欠けたといった感は否めません。直政シリーズになってからも、松平信康自刃事件の回などは史実と創作を上手く絡めた秀逸な出来だったと思うのですが、第30話から第33話ほど引き込まれることはなかった。本能寺の変から神君伊賀越えも、さほど盛り上がることなく、最終回も淡々と終わったといった感想です。たぶん、わたしの中で、何年か経っても思い出すであろう『おんな城主直虎』のシーンは、「嫌われ政次の一生」に尽きるんじゃないでしょうか。


 それから、龍雲丸という架空の登場人物ですが、あの人いりました? 正直いって、わたしは龍雲丸が出てくるとシラケてました。だって、急に物語がウソっぽくなるんですよね。わたしは、架空の人物そのものを否定する気はありません。歴史小説やドラマには、そういう人物がいると便利ですからね。で、架空の人物のだいたいは、忍者であったり盗賊であったりしますから、今回の龍雲丸=盗賊の頭っていう設定もありだと思います。ただ、あのチャラ男キャラがいただけなかった。それから、直虎とのラブコメ話もいらなかった。第21話から第23話では、3話続けて龍雲丸が主役の話でしたよね。3話も続けて架空の人物が主役の話というのは、歴史ドラマとしては、ちょっとキツかった。あそこで離れていった視聴者も多かったと思います。

龍雲丸の創作話に何話も割くくらいなら、井伊直親をもう数話生かして欲しかったですし、井伊直平中野直由、新野左馬助らの死も描いてほしかったですね。そのほうが、井伊家のおかれた危機的状況が、より伝わったと思います。第32話「復活の火」のワンシーンで、徳川の下で井伊家再興を目指す決意をした直虎が、井伊直盛、直満、直平、直親、中野直由、新野左馬助、奥山朝利らの無念を晴らすべく井戸端でひとり酒坏を掲げるシーンがありましたが、彼ら一人ひとりの死をもっと丁寧に描いていれば、あのシーンの直虎の思いがより伝わったと思います。おそらく、直虎を早く城主にしたかったのだと思いますが、そのために重要な史実を割愛して無意味な創作話を続けるのは、本末転倒なんじゃないかと。


 あと、瀬戸方久のキャラ設定も、イマイチでしたね。瀬戸方久が井伊家と関わりがあったというのは史実ですから、もうちょっと上手く使えたんじゃないでしょうか? 龍雲丸のような架空の登場人物を使わず、瀬戸方久に狂言回し的な役割を与えたほうが、もっと面白い話が出来たような気がします。逆に、物語後半でキャラが生きたのが、今川氏真でした。今までの物語では、今川家の滅亡で姿を消す人物でしたが、今回は、ポイントポイントでいい役目を与えられていましたね。方久にも、ああいう役割を与えてほしかった。


 俳優さん方については、素人のわたしがここで批評するには及ばないでしょう。みなさん、素晴らしい役者さんばかりで、文句のつけようがありません。毎年、大河で活躍した俳優さんのファンになってしまうわたしですが、今年も、柴咲コウさんの大ファンになってしまいました。


 最後に触れておかねばならないのが、今年の主人公・井伊直虎という人物について。戦国乱世のなか、でありながら男名を名乗り、城主となって井伊家滅亡の危機を懸命に守り抜いた女戦国武将の波乱万丈な生涯を描いたのが今回の物語でしたが、ドラマ放送直前の昨年の12月、ドラマのコンセプトの根底を覆す論説が浮上します。いわく、直虎は実は男だったのではないか?・・・と。京都市東山区にある井伊美術館が、直虎は女性ではなく、今川氏家臣・関口氏経の息子であった可能性を示す文書を見つけたと発表。大きな話題となりました。歴史ドラマであってもフィクションは避けられませんが、これが事実なら、ドラマの核となる部分が虚構となってしまいますからね。


 そもそも直虎が女性だったとする説は、ドラマの時代考証担当の歴史学者・小和田哲男氏が、四半世紀ほど前に唱えた学説だそうです。その説によると、『井伊家伝記』に記されている「次郎法師」と名乗って地頭を務めていた女性と、永禄11年(1568年)に発動された徳政令の書状に記された「次郎直虎」という署名が同一人物だとする解釈です。一方で、『井伊家伝記』を含め、次郎法師が「直虎」と名乗ったと記した史料は存在せず、「井伊直虎=次郎法師」と断定するのは難しいという意見は、以前から存在しました。そこに、今回、関口氏経の息子が直虎を名乗っていた(かもしれない)史料が発見されたため、にわかに騒がれたわけです。


 ここで整理しておかねばならないのは、今回の史料発見で否定されたのは、「井伊直虎=次郎法師」という部分であって、『井伊家伝記』に記された次郎法師という女性の存在をも否定されたわけではありません。そこを理解せずに騒いでいる批判をよく見かけましたが、そこは、ちゃんと理解すべきところです。つまり、ドラマのタイトルが『おんな城主 次郎法師』だったら、何の問題もなかったわけです。まあ、その『井伊家伝記』の記述自体が信憑性に乏しいという見解もありますが。でも、それをいえば、今回発見された史料も、直虎の時代より150年後に記された編纂物だそうで、信用に足る史料とはいえません。結局のところ、井伊直虎という人物は「謎の人物」ってことですね。


 井伊家家系図でわかるのは、井伊直親のあとに井伊直政の名が続くだけの歴史です。しかし、直親の死から直政が元服して家督を継ぐまで、約20年の歳月があります。その間にも、記録には残らない井伊家の歴史があったはずです。史実とは、歴史の断片にすぎません。史実だけをつなぎ合わせても、歴史は見えてきません。今年の大河ドラマ『おんな城主直虎』は、そんな史実と史実をつなぐ記録に残らない歴史の物語だったといえるのではないでしょうか。そう考えれば、直虎が男であっても女であっても、どうでもいい気がしてきました。大切なのは、記録に残らない歴史を懸命に繋いだ井伊直虎という人物がいた、ということで、それが、今年の大河ドラマ『おんな城主直虎』のテーマだったんじゃないかと。


 とにもかくにも1年間楽しませていただき本当にありがとうございました。このあたりで『おんな城主直虎』のレビューを終えたいと思います。毎週のぞきにきていただいた方々、時折訪ねてきてくれた方々、コメントをくださった方々、本稿で初めてアクセスいただいた方々、どなたさまも本当にありがとうございました。

●1年間の主要参考書籍

『女城主・井伊直虎』 楠戸義昭

『おんな領主井伊直虎』 渡邊大門

『井伊直虎の真実』 黒田基樹

『おんな城主井伊直虎と井伊直政の真実』 別冊宝島

『日本の歴史12・戦国大名』 杉山博

小説『剣と紅』 高殿円



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by sakanoueno-kumo | 2017-12-20 00:33 | おんな城主 直虎 | Trackback | Comments(10)  

Commented by gyuto at 2017-12-20 11:19 x
大河を1話見終えると、こちらを訪問し、ああまだ「太平記を歩く」だ。(もちろんこちらのシリーズも拝読させていただいております)
もう数日過ぎて再訪すると、うんうん直虎だと、楽しませていただきました。
1年を通して続けられることは大変なことだとお察し申し上げます。本当にお疲れ様でございました。
Commented by heitaroh at 2017-12-20 17:57
私はまた例によって見てなかったのですが、30話はそんなによかったですか。
そこまで激賞であれば、見てみようかなと思いましたけど、続けてみないとそこだけ見てもだめでしょうねぇ。
こちらで遡って勉強します(笑)。
Commented by sakanoueno-kumo at 2017-12-23 00:25
> gyutoさん

コメントありがとうございます。
また、過分なお言葉ありがとうございます。
今年は、主人公の井伊直虎という人物のことをあまり知らず、直虎以外の話題で終わる回が多かったのですが、それでも、なんとか1年続けてこれてよかったです。
来年の大河はわたしの得意な幕末なので、よければ立ち寄ってください。
よろしくお願いします。
Commented by sakanoueno-kumo at 2017-12-23 00:28
> heitarohさん

厳密にいえば、最も良かったのは33話です。
多くの人が絶賛する神回でした。
ただ、貴兄のような玄人目にどう映るかはわかりませんが。
Commented by 60代の歴史好きのおじさん at 2017-12-23 12:49 x
今年も1年間お疲れ様でした。。ブログ主様の的確で肯定的なガイドで、なんとか今年も大河を見続けることができました。龍雲丸や方久の描き方など観ていてもどかしいものがあったのは、制作側としても、いろいろ悩まれてああしたのでしょう。はたして大河ドラマといえるのか?NHKも自問自答しつつ進行せざるを得なかったのでしょう。次回作西郷隆盛でもよろしくお願いします。最後に、大台に乗られたのですね。これからも頑張って下さい。
Commented by sakanoueno-kumo at 2017-12-23 21:25
> 60代の歴史好きのおじさんさん

いつもコメントいただきありがとうございます。
今年も何とか完走できました。
大河ドラマとはこうでなければならない!・・・といった固定観念はなるべく持たないように心がけてはいるんですけどね。
でも、「こうでなければならない!」とまでは言わなくとも、「こうであってほしい」は思ってしまいますね。
ただ、時代とともに大河ドラマも少しずつ変わっていかなければならないとも思います。
難しいですが。

この稿を起したあと、龍雲丸については面白い解釈をしている記事を見つけたので、よければ一読してみてください。
  ↓↓↓
http://realsound.jp/movie/2017/12/post-142151.html

大台に乗ったのは今年の1月でしたので、年が明けたら51歳です。
いまだ天命を知りませんが。
Commented by ruby at 2018-01-24 15:17 x
今日は。直虎の総評、大変興味深く読みました。ドラマの登場人物、殊に主役をどれくらい好きになるのかが重要だとの御指摘、なるほどと思いました。個人的には篤姫はそれなりに楽しんで見ていましたが、 熱を入れて思い入れるとかそこまではいかなくて、もっとこうした描き方でも良かったのではとの意見があるのも知っていますが、初めて大河ドラマの主人公を心から好きになり色々と共感したのが、それこそ2016年の真田丸の主役真田信繁でした。前にも話したように今までは西洋史、それも特に女性達の生涯に関心が高く、マリア・テレンジアや娘のマリー・アントワネットやエリザベス女王にヴィクトリア女王、近現代にいくとヘレン・ケラーやアンネ・フランクといった人物に関連する書籍を何冊か持っているのですが、日本人で男性、しかも400年前に生きていた戦国武将をこんなに好きになるなんてと脚本や演出・演じられた堺雅人さんの貢献は絶大だったのだなと改めて思いを馳せております。
大河ドラマのガイドブックを購入したのも真田丸が初めてですし、ドラマで時代考証を担当した先生方が執筆された真田信繁についての本も何冊か買い揃え、最終回まで物凄い物を見させてもらったと感じています。これまで「幸村」として知られてきた人物をドラマでは「信繁」でいくと決め、今ではファン等周りの人達の間でも「信繁」呼びがすっかり定着し、逆に「幸村」だと違和感があると言われるぐらいですから近年こんな影響を与えた大河も稀ででしょうね。 (続きます)
Commented by ruby at 2018-01-24 15:19 x
そこへいくと私の中では今でも少しトラウマが残り、大河と付けるのさえ憚られる「江 姫たちの戦国」の江を好きになろうとはさすがに難しいと言わざるを得ません。特に、大変な目に遭わされたのは知っていますが江が秀吉の事を何度も「サル、サル」と呼び捨てていた事、その秀吉の顔を引っ掻く・足を引っ掻ける・手をパンと叩くといった描写には引くというか二の句が告げませんでした。例えば戦の場面等である程度の暴力的な描写は仕方ないとしても、あそこまでやる必要があったのかと今でも考えてしまうんですよね。他の方達も江に関しては色々と批判したり突っ込んだりなさっていますが、私にとっては上記の点が1番呆れ返った部分です。
ただおっしゃっているように、役者さん達にまで作品の出来の悪さの責めを着せるのはどうかと私も思います。俳優は高いギャラをもらっているのだから、責任を負うのは当然だと書かれたブログも読んだ事があるのですが、高い報酬をもらうこそベストを尽くして仕事をしようとするのであって、脚本の出来や演出云々といった所は役者さん達も関知しようがないのではと感じるからです。だからそういう俳優さんをバッシングする意見は、それこそ江が秀吉をサルと呼び続けるのを聞くのと同じくらいに不愉快でした。こちらでは出演者さん達を擁護なさっていたので、それで救われましたが。
それから江と信繁は全く違う人生を歩みましたが、それぞれ姉妹・兄弟が敵味方に分かれてしまったこと・いろんな意味で「秀吉に翻弄された人生」であったのは何となく共通しているような気がするのですよね。しかしながら単純に年表や生涯を追うと江は勝者の側に信繁は敗者に位置付けられますが、大河ドラマという枠組みで捉えた時に作品の質・脚本による主人公の描き方、視聴者からの評価という点において2人の立場は言わば逆転した、こんな皮肉な話があるだろうかと思います。
またもずらずら述べてしまいましたが、今年もこのような感じでコメントするかも知れませんのでその時は宜しくお願い致します。
Commented by sakanoueno-kumo at 2018-01-26 14:13
> rubyさん

RES遅くなってすみません。
たしかに、信繁と江、兄弟で敵味方に分かれたという観点でいえば、共通点がありますね。
その意味で、日本人は得てして判官贔屓ですから、勝てないと知りながらあえて敗者側にまわった人物というのは、人気が高いんですね。
真田信繁しかり、源義経しかり、楠木正成しかり、そして、今年の西郷隆盛しかり。
ところが、勝てるはずのない戦を続けて日本を焼け野原にした昭和の軍人は、戦犯者です。
まあ、昭和の戦争はまだ「歴史」になってないのでしょうが。

rubyさんが挙げられた江の秀吉に対する態度は、たしかに酷かったですね。
わたしは、巷で批判されるほど、女性を主人公にすること自体に反対ではないのですが、『江』の総評の稿でも述べたのですが、『江』の作者である田渕久美子さんは、あまりにも歴史に対する知識が浅すぎるんじゃないかと思わざるを得ませんでした。
あの酷い描写も、すべて、彼女の歴史認識の浅さが起こした悲劇だったといえるでしょう。
歴史ドラマであっても物語である以上、フィクションは避けられませんが、ちゃんと歴史を勉強した人が描くフィクションと、知識のない人が描くフィクションでは、ぜんぜん質が違うと思います。
田渕さんは当時、何かの取材で、歴史なんて知らなくても歴史ドラマは描けると言っていました。
この意識が、最大の罪だと思います。
その意味では、『直虎』の作者である森下佳子さんは、まだ、ちゃんとこの時代の歴史背景を勉強されてから脚本に臨んでおられたように感じました。
だから、というわけではないですが、わたしは、『直虎』はそれほど低評価ではありません。

つづく。
Commented by sakanoueno-kumo at 2018-01-26 14:14
> rubyさん

今年の『西郷どん』は、林真理子さん原作で中園ミホさんが脚本、ふたりとも女性ですね。
近年、女性の脚本家さんが圧倒的に目立ちます。
2007年の『篤姫』以降の11作品中、8作品が女性の脚本家さんです。
これ、なんででしょうね?
ここからはわたしの想像ですが、偏見かもしれませんが、男性の脚本家さんは、大河ドラマの脚本の難しさがわかるから、歴史にそれほど精通していない人は、オファーがあっても容易に引き受けないんじゃないかと。
ところが女性の脚本家さんは、その難しさを考えず、にわか知識だけで安直にオファーを引き受けちゃうんじゃないかと。
わたしの勝手な想像ですが、11作品中、8作品が女性というのは、普通じゃないですよね。
その背景には、そんな事情が隠されているように思えてないりません。
それが、近年の大河の質の低下を引き起こしている原因じゃないかと。
rubyさんのコメントの答えになってないかもしれませんが、わたしの思うところです。

今年はまだはじまったばかりでわかりませんが、わたしの好きな幕末維新もので、しかも、黒船来航から西南戦争まで幕末維新がすべて描かれるでしょうから、楽しみにしています。
今年もよろしくお願いします。

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