太平記を歩く。 その174 「歯神さん」 大阪府東大阪市
「その171」で紹介した霊光院から西に少し坂を下ったところに、鉄柵で囲われた小さな祠があるのですが、ここは、楠木正成の弟・楠木正季の子・和田賢秀が祀られていると伝えられます。
賢秀は従兄弟にあたる楠木正行・正時兄弟と共に、正平3年/貞和4年(1348年)1月5日の「四條畷の戦い」で討死しました。
賢秀の墓所は「その167」で紹介した四条畷市のものが有名ですが、この祠は、四條畷の戦いの舞台を東大阪四条説に則ったものだと思われます。
その説明書きによると、賢秀がこの地で戦ったとき、自分の刀が折れ、敵の刃を口で受け止め、その刃を歯で噛み切ったところから「歯神」として崇められ、歯痛に効く神として、古くから信仰され、「歯神さん」として人々から敬神されているそうです。
四条畷市の墓所の説明書きでは、敵将にはねられた首が敵に噛み付いたまま睨んで離れなかったという伝承で、あちらでも歯痛に効く神「歯噛(神)さん」として信仰されているとしていました。
微妙に話が違っていますが、いずれも歯にまつわる伝承であることを思えば、やはり、死に際に敵に嚙みついたのはホントの話かもしれませんね。
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by sakanoueno-kumo | 2017-12-27 23:07 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(0)