太平記を歩く。 その175 「恩智城跡」 大阪府八尾市
大阪府八尾市にある恩智城跡を訪れました。
恩智城は楠木正成八臣のひとりである恩智左近満一が築いたとされる城で、正平3年/貞和4年(1348年)1月5日の「四條畷の戦い」で楠木正行が戦死すると、ここ恩智城も落城したと伝わります。

城跡と言っても、遺構は残っていません。
現在は旧恩智小学校の跡地に石碑が建てられているのみです。

学校の校門跡でしょうね。


城跡の石碑と小学校跡の石碑が並びます。

現地説明板によると、恩智城跡は自然の高地を利用した城郭で、高安連峰との間に堀をめぐらせ、堀の中にかつては小島があったそうですが、それはむかしの一の丸で、現在の城址は二の丸址だそうです。

城は広さ東西83間 南北85間だったと伝わります。

城跡からは、河内平野が一望できます。

遠くにあべのハルカスが見えます。

城跡公園の西には、恩智左近満一の墓があります。

恩智左近満一は恩智神社の社家の出で、楠木正成方に味方した八臣のひとりです。

「湊川の戦い」で正成が戦死したあとは、その子・正行を助けて南朝方を守りましたが、延元2年/建武4年(1337年)に熱病で死んだという説と、正平3年/貞和4年(1348年)1月5日の「四條畷の戦い」で戦死したという説があるようで、定かではありません。

説明版は病死説を採っているようです。

『太平記』とは無関係ですが、左近の墓の傍らに小さな墓碑が16基並んでいるのですが、これは、明治10年(1877年)の西南戦争に政府軍として従軍した中河内近在の人々の墓だそうです。
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by sakanoueno-kumo | 2017-12-29 02:25 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(0)