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太平記を歩く。 その188 「八幡行宮阯」 京都府八幡市

京都府八幡市にある八幡行宮跡を訪れました。

ここは、正平7年/文和元年(1352年)2月に前稿で紹介した住吉行宮に移った後村上天皇(第97代天皇、南朝第2代天皇)が、その後、さらに京の都を目指して北上した行宮跡と伝わります。


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昭和15年(1940年)に建てられたこの石碑は、現在、車道沿いのカーブミラーに隠れてあまり目立ちません。


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「観応の擾乱」で幕府内が混乱する最中、足利尊氏は対立する足利直義・足利直冬追討の綸旨を得るため、正平6年/観応2年(1351年)10月、南朝の後村上天皇に一時降伏し、政権返上を申し出ます。

これを受けた後村上天皇は、北朝崇光天皇(北朝第3代天皇)の廃帝を宣言し、年号を南朝の正平6年に統一します。

世にいう「正平の一統」です。

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翌年の2月26日、足利直義は鎌倉で急死

通説では病死とされていますが、『太平記』では、これを尊氏の毒殺としています。


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八幡行宮跡碑から路地を東に50~60mほど入ったところには、「後村上天皇行宮趾」と刻まれた石碑があります。

こちらの方が立派な石碑です。


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北朝方の混乱を見た南朝の北畠親房は、正平一統を破棄

尊氏の征夷大将軍を解任し、宗良親王(後村上天皇の異母兄)を征夷大将軍として東西で呼応し、京都と鎌倉の同時奪還を企てます。


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後村上天皇は都の奪還を目指して当時南朝の本拠地が置かれていた大和国賀名生を出立。

同2月28日に前稿で紹介した摂津国住吉を行宮とし、閏2月19日、後村上天皇は都を目と鼻の先としたここ男山八幡に到着し、石清水八幡宮別当・田中定清の邸を仮皇居とします。

それが、ここ「八幡行宮阯」です。


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しかし、後村上天皇がこの地を行宮としたのは3か月足らず

北朝方の巻き返しに遭い、激戦の末、結局、京の都の地を踏むことなく、賀名生に戻ることになります。

世にいう「正平の役」です。

「八幡の戦い」ともいいますね。

次稿では、その古戦場跡をめぐります。




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by sakanoueno-kumo | 2018-01-25 23:55 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(0)  

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