太平記を歩く。 その193 「楠木正儀卿駒繋樟(香具波志神社)」 大阪市淀川区
大阪市淀川区にある香具波志神社に、楠木正成の三男・楠木正儀が愛馬を繋いだ楠の切株があると知り、訪れました。
社伝によれば、天徳3年(959年)秋、稲荷大神である食稲魂神(うかのみたまのかみ)・
保食神(うけもちのかみ)を祀ったことに始まるそうです。
「香具波志(かぐはし)」の社名は、孝徳天皇(第36代天皇)が有馬温泉へ行幸の途中、当地を通った際、「かこはしや此花いもみせぬかもやこの花」と詠まれた御製に由来しているそうです。
拝殿です。
境内の北側の隅に、小さな鳥居が見えます。
どうやら、ここが伝説の「楠木正儀卿駒繋樟」のようです。
その伝承によると、楠木正儀が神崎川で北朝方の佐々木秀詮との戦いに向かう途中、ここ香具波志神社の前身・加島神社の楠に愛馬を繋いで参拝し、必勝を祈願したというのですが、ネット情報などでは、それを正平6年(1351年)としており、香具波志神社のwikipediaでも、そう記されています(参照)。
でも、おそらくそれは間違いで、正儀と秀詮が戦ったのは、正平16年/康安元年(1361年)か正平17年/康安2年(1362年)のことで、約10年違っています。
『太平記』巻36「秀詮兄弟討死事」に、そのことが記されています。
和田・楠是を聞て、能き時分也と思ければ、五百余騎を卒して、渡辺の橋を打渡り、天神の森に陣を取る。佐渡判官入道々誉が嫡孫、近江判官秀詮・舎弟次郎左衛門、兼て在国したりければ、千余騎にて馳向ひ、神崎の橋を阻て防戦んと議しけるを・・・
上記、「渡辺の橋」とは、現在の天満橋あたりで、「天神の森」とは、おそらく西成区天神ノ森あたり。
「神埼の橋」とは、おそらく尼崎市神埼かと思われます。
「楠木正儀卿駒繋樟」は、推定樹齢800年で、樹高27m、幹周り7mと、大阪市内ナンバーワンの巨木だったそうで、昭和13年(1938年)には天然記念物に指定されましたが、残念ながら昭和42年(1967年)に枯死してしまい、その後、樹先や枝を払ってしばらくはその姿を留めていたそうですが、それでも危ないということで、昭和51年(1976年)に今のかたちになったそうです。
現在は、切株の上に祠を置き、岩木神社として祀られています。
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by sakanoueno-kumo | 2018-02-02 00:07 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(0)