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太平記を歩く。 その199 「常照皇寺(山国御陵)」 京都市右京区

京都北郊の山中にある、常照皇寺を訪れました。

ここは、出家した光厳天皇(北朝初代天皇)が晩年に開山して隠棲した寺院で、光厳天皇陵(山国御陵)があります。


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参道入口です。

ここは紅葉の名所として知られていますが、人里離れた山奥ということもあり、それほど人は多くない穴場スポットです。

わたしがここを訪れたのは平成29年(2017年)11月11日。

もちろん、紅葉狙いです。


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真っ赤です。


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山門です。

長い石段は、まだ楓のレッドカーペットはできていません。

あと1週間ほど経ってからのほうがよかったかも。


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石段を上りきったところにある勅額門です。


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勅額門をくぐると、目の前に紅葉が広がります。

太陽が照っていればもっと鮮やかに見えたでしょうが、少し残念。


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正面に見えるのは勅使門

現在は閉ざされていて使われていません。


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光厳天皇は、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)の失脚により、鎌倉幕府によって擁立されますが、その後、配流先の隠岐島を脱出した後醍醐天皇が討幕の兵を挙げると、討幕方に与した足利尊氏の軍勢によって京都の六波羅探題が攻め滅ぼされ、光厳天皇は後伏見上皇(第93代天皇)・花園上皇(第95代天皇)らとともに北条仲時に連れられ、東国に逃れるべく京を落ちます。

しかし、ほどなく近江番場宿で捕らえられ、在位僅か1年8ヶ月で廃位されます。


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その後、復権した後醍醐天皇によって、「朕の皇太子の地位を退き、皇位には就かなかったが、特に上皇の待遇を与える」として、光厳天皇の即位そのものを否定されます。

ところが、後醍醐天皇の建武の新政はわずか2年で崩壊

再び後醍醐天皇が京を追われて吉野朝を起こすと、光厳上皇は足利幕府の庇護の下、北朝院政を行いました。


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しかし、その後、南朝軍が一時京を奪還したことにより、弟の光明天皇(北朝第2代天皇)、子の崇光天皇(北朝第3代天皇)と共に捕えられ、南朝の本拠地だった大和賀名生幽囚されました。

その幽囚先で光厳天皇は失意のうちに出家し、諸国を行脚したのち、この山奥の寺を隠棲の場と定め、正平19年(1364年)7月7日、この地で崩御しました。


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中庭入口の紅葉もきれい。


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中庭の中央には、天然記念物に指定されている枝垂れ桜「九重櫻」があります。

光厳天皇の弟、光明天皇が手植えした桜と伝わるそうですが、だとすれば、樹齢650年に及びます。

これは、桜の季節にもう一度来る価値がありそう。


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庫裏入口です。


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方丈内です。


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玉座?

・・・じゃないでしょうね。


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方丈の縁側から見る庭園です。

みごとな紅葉です。


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しばし堪能。


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方丈の奥に続く怡雲庵(開山堂)に向かいます。


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怡雲庵(開山堂)のなかです。

明るく開放的な印象の方丈とは対照的に、薄暗く厳粛な雰囲気が漂う異空間といった感じです。


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外陣両脇のギャラリーには十六羅漢像が並んで見下ろしています。

その下には、昭和天皇をはじめとする歴代天皇の位牌が整然と安置されています。


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圧巻ですね。


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内陣です。

奥に、何やら僧侶のような人影が。


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どうやら、光厳天皇の木像のようです。

一瞬、即身仏かと思ってしまいました。

傍らにいるのは、側近の順覚の像だそうです。

順覚は、光厳天皇が諸国行脚の旅に出たとき、ただひとりお供した僧です。


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波乱に満ちた生涯を送られた光厳天皇ですが、木造のお顔はたいへん穏やかに見えます。


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それにしても、国の重要文化財でありながら撮影禁止じゃないのがありがたい。


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建物を出て、光厳天皇の御陵に向かいます。


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ここが、光厳天皇が眠る山国御陵です。

後花園天皇(第102代天皇)もここに眠ります。


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多くの歴代天皇が洛中にほど近い場所に眠るなか、人里離れた山奥を終焉の地に選んだ光厳天皇。

おそらく、俗世とは距離を置きたかったのでしょうね。

同じく山奥に眠りながら、最後まで京に帰ることを望んだ後醍醐天皇とは、対照的です。


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ただ、この山国御陵は、宮内庁のHPで紹介されている歴代天皇陵には記載されていません。

というのも、現在の天皇家の歴史は、南朝が正統とされているからです。

明治44年(1911年)に起きた南朝、北朝どちらが正統かという議論「南北朝正閏問題」で、「南朝正統論」を広めることこそ日本国民の道徳教育であると一部の歴史家が唱えたことにより、大逆事件などの政治問題と絡んで国会で追及された桂太郎内閣が、明治天皇(第122代天皇)の裁可を得て南朝を正統と決定しました。

これにより、北朝5代天皇は歴代天皇からは除外されてしまいます。

その後、「南朝正統論」は国策として進められ、教科書では「南北朝時代」「吉野朝時代」と改められ、政府を挙げて南朝の正統性を国民に浸透させようとしました。


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ちなみに、現在の皇室は北朝の血筋です。

もはや南朝正統論が政治的意味を持たなくなった今日、北朝5代天皇を歴代天皇に復帰させてもいいように思うんですけどね。




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by sakanoueno-kumo | 2018-02-11 00:49 | 太平記を歩く | Comments(0)  

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