幕末京都逍遥 その4 「東山霊山護国神社~大村益次郎の墓」

前稿前々稿で、坂本龍馬、中岡慎太郎、木戸孝允の墓を紹介しましたが、ここ東山霊山の墓石のなかで、木戸の次に高い官位を贈られた人物といえば、大村益次郎でしょう。

その益次郎の墓が、これです。


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えっ?・・・と思うくらい小さな墓石で、写真もこのワンカットしか撮れませんでした。

この前はになっていて、思いっきり体をのけぞって広角レンズで撮ったのが、この1枚です。

はじめてこの霊山を訪れたとき、益次郎の墓が見つからずに探し回りました。

というのも、日本陸軍の創始者にして従二位まで贈られた益次郎の墓ですから、木戸ほどじゃないにしても、ある程度立派なものを想像していたんですね。

ところが、実際には無名の志士たちと変わらない扱いでひっそりと建っていて、そりゃ見つからんわ・・・と。


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というのは、実はここは正式な墓ではなく、本当の益次郎の墓は、山口県に立派なものがあるんですね。

この墓石は、いわば慰霊碑のようなもので・・・。

でも、だとしても、靖国神社に銅像がある程の人ですから、もうちょっと立派なものにしても良かったんじゃないかと・・・。


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猪突猛進型の熱血攘夷志士を多く排出した長州藩士のなかで益次郎だけは異質な存在で、蘭学者だった彼は、はじめから攘夷が不可能であることを知っていました。

もし、幕末の世に生まれていなければ、学者としてその人生を終えたことでしょう。

ところが、世情は彼の明晰な頭脳を必要としました。

桂小五郎(木戸孝允)によって見出された益次郎は、第二次長州征伐でその才能を発揮し、大政奉還後の戊辰戦争では司令官として新政府軍勝利の立役者となり、その後、太政官制における兵部省の初代大輔を務め、事実上の日本陸軍の創始者となりました。

でも、そのせいで暗殺されてしまうんですね。

武士たちの多くは、「志士は溝壑に在るを忘れず」の精神で時代を生き、死後、ここ東山霊山に名を連ねることを誉れに思っていたでしょうが、益次郎はどう思っているでしょうね。

学者のままの人生だったら、ここに墓碑が建てられることはなかったはずですから。




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by sakanoueno-kumo | 2018-02-24 11:36 | 幕末京都逍遥 | Trackback(1) | Comments(0)  

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Tracked from 平太郎独白録 親愛なるア.. at 2018-03-13 17:50
タイトル : 幕末版オタク登用事例、大村益次郎。
大村益次郎という人物をご存じでしょうか。東京の靖国神社に銅像として置かれている人物・・・と言えば、思い当たる方もいらっしゃるかもしれませんが、事実上の日本陸軍の創始者とされている人です。ところが、この人は元々、長州藩出身とはいえ、松下村塾で知られる志士の出身ではなく、本来、幕末の激動とは何ら関係なく、家業の村医者を継ぐために、医学を学んだ学者さんだったとか。ただ、勉強の方は半端じゃないほどに出来た人のようで、防府の梅田幽斎、豊後国日田の広瀬淡窓、緒方洪庵の大坂適塾といった私塾に学び、長崎に遊学後は、...... more

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