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幕末京都逍遥 その10 「東山霊山護国神社~岐阜県殉難者の墓」

岐阜県招魂場には、梁川星巌の墓碑があります。

といっても、ここに葬られているわけではないので、正確には慰霊碑ですね。


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美濃国安八郡曽根村の郷士の家に生まれた星巌は、幕末を代表する漢詩人として知られ、晩年は尊攘派志士たちの精神的支柱となった人物です。


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時の幕府大老・井伊直弼「安政の大獄」が始まると、梅田雲浜、頼三樹三郎、池内大学と共に悪謀四天王のひとりとされ、現代で言うところの指名手配容疑者となりますが、大量逮捕開始の3日前、当時猛威をふるっていたコレラに感染して急逝します。

コレラに感染していなくとも、逮捕されて処刑されていたであろうことを思えば、星巌にとってはどちらが良かったでしょうね。

星巌の死に様は、詩人であることにちなんで、「死に(詩に)上手」と評されたそうです。


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星巌の碑のとなりには、所郁太郎の墓碑があります。

郁太郎は美濃国出身の医者で、大坂の適塾緒方洪庵に学び、その後、勤王思想から長州藩士と深く交流するようになり、「八月十八日の政変」以降は長州に身を投じていました。

その長州で、刺客に襲われて全身ズタズタに斬られて瀕死の重傷を負った井上聞多(馨)を、畳針を借りて傷口の縫合を行い、一命を取り留めた話は有名ですね。

そのエピソードは、司馬遼太郎氏の『世に棲む日日』や、短編『美濃浪人』、エッセイ『無名の人』などで繰り返し紹介され、世に多く知られるところとなりました。


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私が知っているのは、井上を救った医者というだけでしたが、調べてみると、翌年には遊撃隊参謀として高杉晋作功山寺決起にも参加していたんですね。

でも、その後間もなく腸チフスに掛かり、陣中で落命したそうです。

28年の短い生涯でしたが、のちに明治政府の要職を歴任する井上の命を救ったという、大きな役割を果たした人物でした。

ちなみに、同郷の星厳とは親交があったようで、それでとなりに墓碑が建てられたのでしょうね。




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by sakanoueno-kumo | 2018-03-07 22:55 | 幕末京都逍遥 | Comments(0)  

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