幕末京都逍遥 その12 「東山霊山護国神社・安祥院~梅田雲浜の墓」

東山霊山の北角に、梅田雲浜の墓碑が他の墓碑とは少し距離をおいて特別扱いのように祀られています。

小浜藩士で儒学者の雲浜は、幕末初期の攘夷運動を牽引した思想家でした。

雲浜は8歳にして藩校・順造館に入り、その英明さは大いに期待されましたが、頭脳が切れすぎたせいか、立場をわきまえずにものを言うところがあり、藩主への建言が幕府批判と取られ、藩籍を剥奪されてしまいます。

黒船来航以前に公然と幕府を批判したのは、雲浜だけだったんじゃないでしょうか。


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その翌年にペリー艦隊が来航すると、尊皇攘夷を求める志士たちの急先鋒となり、幕府を激しく批判しました。

これが、幕府大老・井伊直弼の知るところとなり、梁川星巌、頼三樹三郎、池内大学と共に悪謀四天王のひとりとされ、「安政の大獄」による逮捕者第1号となります。

逮捕の最高責任者である京都所司代の役に就いていたのは、雲浜を小浜藩から放逐した旧藩主・酒井忠義だったというのも、皮肉な話です。


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雲浜はその取り調べにおいても、激しい拷問を受けても一切口を割らず、最期は刑死ではなく、獄中での病死だったといいます。


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梅田雲浜の墓は、ここ東山霊山のすぐ近くの安祥院にもあります。

正確には、安祥院あるのが墓で、東山霊山にあるのは慰霊碑のようですね。


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実は、わたしはここ安祥院に墓があることを知らなかったのですが、この日、東山から五条に向かって坂を下っていたところ、たまたま安祥院の門横に建てられた「梅田雲浜先生墓」と刻まれた石碑を見つけ、ここを訪れました。

ほんと偶然の発見です。


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墓は他の墓石のなかに同じように立ち並んでいて、特別扱いはされていません。

墓の前も狭く、のけぞって撮影したのが上の写真です。

橋本左内吉田松陰などと同じく、幕末の動乱の導火線に火をつけた梅田雲浜。

かれら思想家の命を賭けた叫びが、やがて坂本龍馬西郷隆盛ら活動家に引き継がれていきます。




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by sakanoueno-kumo | 2018-03-10 11:35 | 幕末京都逍遥 | Trackback | Comments(0)  

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