幕末京都逍遥 その14 「霊明神社」
前稿で紹介した「幕末志士葬送の道」を上ったところにある霊明神社を訪れました。
ここは、かつては霊明社といい、幕末の勤皇の志士たちを祀った神社でした。
あの坂本龍馬と中岡慎太郎の棺も、ここへ運ばれてから埋葬祭祀されました。
一見、普通の民家の玄関に鳥居があるような小さな神社で、とてもそんな歴史がある場所には思えません。
案内板によると、文化6年(1809年)に地下(六位以下の貴族)の村上都愷が、神道信仰素志貫徹を図るために創建したと伝わります。
当時、徳川幕府の宗教政策によって原則すべての国民が仏教徒とされていましたが、そんな中で、ここでは神道による葬式(神葬祭)を始めたそうです。
幕末に入り、神葬祭を進める長州毛利家などと縁ができ、長州藩をはじめ殉難志士を霊山に埋葬祭祀することになっていったそうです。
幕末の勤皇の志士たちは、天皇家と同じく神道を信じる傾向にあったんですね。
そして文久2年(1862年)からは、安政の大獄以降の殉難志士の「報国忠死の霊魂祭」
が営まれるようになります。
「死して護国の神となる」
「霊山の村上にて皇国の手振りにて葬らることを如何に楽しとせし事ぞ」
と、当時の志士たちは死後、ここ霊明神社に葬られ、神霊として祀られることを無上の名誉と思うようになったそうです。
これが、招魂社ならびに靖国神社創建の起源をなすものとなった・・・と。
維新後は、明治新政府の方針で、霊明社・村上氏の所有地の大半が没収(上知)され、創建まもない東山招魂社に譲られてしまいました(霊明神社文書)。
現在、龍馬らの墳墓がその後身である霊山護国神社の所有・管理とされているのはそのためだそうで、かつては、ここ霊明社の墓地だったんですね。
この日、霊山護国神社や龍馬たちの墓のお参り客はたくさんいましたが、ここを参拝していたのは、わたしが見る限りわたししかいませんでした。
東山霊山に来たら、龍馬らの墓参(霊山護国神社の参拝)とあわせてここも参拝するべきでしょうね。
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by sakanoueno-kumo | 2018-03-15 00:55 | 幕末京都逍遥 | Trackback | Comments(0)