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幕末京都逍遥 その19 「忠僕茶屋(清水寺)」

前稿で紹介した「舌切茶屋」から少し西へ歩いたところに、「忠僕茶屋」という名の茶屋があります。

ここも、安政の大獄によって非業の死を遂げた月照に関係しています。


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月照が住職を務めた清水寺塔頭・成就院下男に、大槻重助という若者がいました。

重助は月照の尊王攘夷運動の手足となって働き、月照が西郷隆盛の導きで薩摩に下った際には、重助も付き従って薩摩に落ちます。

しかし、月照は薩摩の錦江湾にて入水自殺してしまうんですね。


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月照の死後、その遺品を京都に持ち帰った重助は、幕府方に捕えられ、六角牢獄につながれます。

そこで、同じく獄中にあった月照の弟・信海と再会します。

のちに信海は江戸に送られ、伝馬町牢内で病死してしまうのですが、このとき重助は、信海から後事を託されたといいます。


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重助はやがて解放され、一旦は生まれ故郷に帰ったものの、再び清水寺に戻り、境内に茶屋を営むことを許され、生涯、妻とともに月照・信海の墓を守り続けたそうです。


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重要文化財の三重塔を見上げる、こんな場所にあります。


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紅葉が美しい。


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前々稿で紹介した月照、信海、西郷隆盛の歌碑の横には、「忠僕重助碑」と刻まれた石碑があります。

この篆書の彫文字は、西郷隆盛の弟・西郷従道による揮毫だそうです。

西郷の歌碑に刻まれた漢詩は、明治7年(1874年)の月照の十七回忌のときに詠まれたものですが、当時、鹿児島にいた西郷が、この漢詩を託したのが重助だったのだとか。

「忠義」というのは、武士だけの美徳ではなかったんですね。




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by sakanoueno-kumo | 2018-03-23 05:05 | 幕末京都逍遥 | Trackback | Comments(0)  

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