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幕末京都逍遥 その43 「薩摩藩錦小路邸跡」

河原町通から700mほど西の烏丸通附近にやってきました。

まず紹介するのは、薩摩藩錦小路邸跡です。

薩摩屋敷といえば、いまの同志社大学の敷地にあった二本松藩邸が有名ですが、あちらが設けられたのは文久3年(1863年)のことで、それまでは、ここ錦小路にあった屋敷が薩摩藩の主な拠点でした。

現在、大丸百貨店の西側に、石碑のみが建ちます。


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現地説明板によると、この場所に大名の屋敷が設けられたのは16世紀末か17世記初頭からと考えられるそうで、江戸時代に多数出版され「京絵図」の類からその変遷をみると、最初は山城守松平忠国の屋敷で、17世紀末の一時期は松平下総守の屋敷になり、その後、18世紀初頭からは約160年間にわたり代々の薩摩の京屋敷だったそうです。

文久2年(1862年)4月に島津久光公武周旋のために兵1000人を率いて上洛した際も、この屋敷に入ったそうです。


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坂本龍馬勝海舟の紹介で西郷隆盛にはじめて会ったのも、ここ錦小路の屋敷だったといいます。

司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』のなかでは、こんな話がありました。

龍馬が薩摩屋敷で西郷を待つあいだに庭で鈴虫を捕らえ、訪れた西郷に虫かごを要求します。

その数ヶ月後に再び龍馬が薩摩屋敷を訪れると、虫かごのなかで鈴虫が生きていました。

でも、実は、龍馬がつかまえた鈴虫は数日後に死んでしまい、再び龍馬が訪れたときにいた鈴虫は、3代目だったんですね。

西郷、はいつ来るかわからない龍馬のために、ずっと鈴虫を世話し続けていたというエピソードです。

この話が事実かどうかはわかりませんが、西郷の誠実な人柄を感じさせてくれる話です。

その舞台が、ここ錦小路の屋敷だったわけです。


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屋敷は元治元年7月19日(1864年8月20日)の「禁門の変」で焼失。

以後、薩摩藩の京都の拠点はニ本松藩邸となります。




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by sakanoueno-kumo | 2018-04-27 23:56 | 幕末京都逍遥 | Trackback | Comments(0)  

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