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幕末京都逍遥 その58 「九条邸跡(京都御苑)」

前稿で紹介した「鷹司邸跡」の西隣にあった「九条邸跡」を訪れました。

九条家は藤原氏の流れをくむ鎌倉時代の公卿・九条兼実を祖とする家系で、五摂家(近衛、鷹司、九条、一条、二条)のひとつです。

「幕末」と呼ばれる時代の当主は九条尚忠で、前稿で紹介した鷹司政通のあと、関白に就任します。


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安政5年(1858年)の日米和親条約締結にあたり、関白だった尚忠は幕府との協調路線を推進して条約許可を求めますが、不安をつのらせた若手の攘夷派公家たちの猛烈な反発を受け、中山忠能をはじめとする合計88名の攘夷派公家たちが、ここ九条邸前で抗議の座り込みを行いました。

いわゆる「廷臣八十八卿列参事件」です。

その中に、下級公家だった岩倉具視がいました。


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と称して参内を辞退した九条尚忠に対して、岩倉は面会を申し込みますが、同家の家臣たちは病を理由にこれを拒否。

しかし、岩倉は面会するまでこの場を動かず、根負けした尚忠は、明日返答する旨を岩倉に伝えました。

岩倉が九条邸を退去したのは午後10時を過ぎていたといいます。

その結果、孝明天皇(第121代天皇)は条約締結反対の立場を明確にし、以後、幕府からの勅許の要請を頑なに拒否することとなります。


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勅許を得られなかった責任を取る形で、幕府老中の堀田正睦は辞職に追い込まれ、孝明天皇の怒りを買った関白・九条尚忠も内覧職権を一時停止されました。

しかし、その後、幕府は大老・井伊直弼の独断で条約を締結し、同年、「安政の大獄」を開始。

88人の公家の中からも、多くの処罰者が出ることになります。


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現在、九条邸跡には九条池と呼ばれる池があり、美しい庭園が残されています。


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池の向こうに見える2階建ての建物は、茶室の「拾翠亭」です。

およそ200年前の江戸時代後期に建てられたものと伝えられています。




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by sakanoueno-kumo | 2018-05-19 23:42 | 幕末京都逍遥 | Trackback | Comments(0)  

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