西郷どん 第20話「正助の黒い石」 ~誠忠組突出計画と諭告書~

 今回は大久保正助(利通)が中心の話でしたね。わたしはかねてから、無理に主人公を話に絡めないでも、話の流れ的に主人公が出ない回があってもいいのではないかと言い続けてきましたが、今回はまさしく、それに当てはまる回でした。主人公である西郷吉之助(隆盛)は最初と最後に少し登場しただけ。でも、箸休めの回ではなく、重要な史実ベースの回。このチャレンジは、わたしは良かったと思います。


 安政の大獄の嵐が吹き荒れるなか、薩摩藩下級武士の有志らで結成された精忠組の面々は、脱藩して大老・井伊直弼をはじめ幕閣首脳を襲撃しようとする、いわゆる「突出」を計画します。しかし、その計画は事前に薩摩藩国父の島津久光の知るところとなり、安政6年11月5日(1859年11月28日)、藩主・島津茂久自筆で次のような諭告書が下され、暴発を思いとどまらせました。


方今、世上一統動揺、容易ならざる時節にて、万一事変到来の節は、順聖院様(島津斉彬)御深意を貫き、国家を以て忠勤をぬきんずげき心得に候。

各々有志の面々、心相心得、国家の柱石に相立ち、我等の下肖をたすけ、国名を汚さず、誠忠を尽くし呉れ候様。

ひとえに頼み存候。 よって件の如し。


精忠士面々へ 


安政六年巳未十一月五日 茂久(花押)


 簡単に言うと、「時が来れば必ず君たちの力が必要となるから、それまでは軽率な行動を慎め」ということですが、このなかで注目すべきは、彼らを「国家の柱石」とし、「精忠士」の称号を与えたことで、彼らの突出を「義挙」と認め、さらに、近い将来に全藩あげて国事活動に乗り出すと約束しています。この時代、藩主が自筆の諭告書を下級武士の直接下すことなど異例中の異例のことでした。脱藩して場合によっては死ぬつもりでいた彼らも、藩主父子にここまで言われては、突出を思いとどまらざるをえなかったでしょう。


e0158128_17375658.jpg この諭告書の発行を水面下で操っていたのが大久保だったというのがドラマの設定でしたね。これについては、海音寺潮五郎氏の著書でも同じような設定で描かれています。しかし、これが事実かどうかは定かではありません。たしかに、この時期、大久保は趣味の囲碁を通じて久光に近付こうとしていました。ただ、記録では、実際にふたりが顔を合わせたのはこの翌年のことで、この時期はまだ、久光の囲碁の対手である僧侶・吉祥院を通じての間接的な接点でしかなかったようです。あるいは、その吉祥院を通じて諭告書の発行を促したかもしれませんが、その文案まで大久保が起草したというのは、少々無理があるかもしれませんね。


 ドラマでは描かれていませんでしたが、大久保は西郷が奄美大島に流される直前、この精忠組の突出についてどう思うか、西郷に意見を求める手紙を送っています。これに対して西郷は、「憤激の余りに事を急ぎ候では、益御難を重ね奉るべく候」と、自重を求めています。この西郷の忠告によって、大久保は世の趨勢を冷静に見つめ、精忠組のリーダー的存在となっていったと・・・。なんで、これやらなかったのでしょう?


 藩主父子の諭告書によって突出を踏みとどまった精忠組は、メンバー49名の名前を書いた血判状をつけ、上申書を添えて藩主に提出したそうです。その名簿の筆頭には、その場にはいられなかった「西郷吉之助」の名が加えられました。


 こうして一旦は沈静化した精忠組の突出計画ですが、翌年の安政7年3月3日(1860年3月24日)に桜田門外の変が起きると、事態は再び緊迫します。このあたりについて次週で描かれるのか、それとも、次週はまた奄美大島に舞台を移すか・・・。わたしとしては、もう少し大久保と精忠組の動向を見たいのですが、予告編を見る限りでは次回は奄美が中心になりそうですね。



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by sakanoueno-kumo | 2018-05-28 18:17 | 西郷どん | Trackback | Comments(0)  

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