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幕末京都逍遥 その64 「姉小路公知の墓(清浄華院)」

京都御苑を出て、その周辺を歩きます。

京都御苑東の清和院門を出て150mほど北西にある清浄華院の墓地に、前稿で紹介した猿ヶ辻の変(朔平門外の変)暗殺された公家の姉小路公知が眠っています。


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清浄華院は浄土宗七大本山のひとつであり、同宗の知恩院、知恩寺、金戒光明寺と並んで京都四箇本山のひとつです。

貞観2年(860)、清和天皇(第56代天皇)の勅願によって創建されたと伝わりますが、当初は別の場所にあって、天正13年(1585年)に豊臣秀吉によってこの地に移されたそうです。


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山門を潜って境内に入ると、大方丈の前に宝篋印塔と立て札が見えます。

あれが姉小路公知の墓かな・・・と近づいてみると。


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天璋院篤姫の曽祖母・智満方(春光院)の墓でした。

幕末に生きた人ではないので、説明は省きます。


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こちらは御影堂(大殿)です。


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で、こちらが姉小路公知の墓です。

墓石には、「贈参議左中将藤原公知朝臣之墓」と刻まれています。


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姉小路公知は攘夷派の公家で、安政5年(1858年)の日米和親条約締結に反対した公家たちが起こした「廷臣八十八卿列参事件」では、20歳の若さでその指導者として活躍し、その後、国事参政となってからは、三条実美とともに攘夷派の先鋒となります。

しかし、文久3年5月20日(1863年7月5日)の午後10時頃、深夜朝議からの帰途、京都朔平門外の猿ヶ辻で3人の刺客に襲われ、扇を振い、刀を奪うなどして奮戦して撃退するも、頭と胸に重傷を負い、帰邸後の翌日21日未明、自邸にて死去します。

享年25。

実行犯として薩摩藩士の田中新兵衛が捕縛されますが、新兵衛が取調中の隙を突いて自害してしまったため、真相は藪の中となりました。

公知が狙われた理由については、襲われる少し前に大坂で勝海舟と会談し、その影響によって攘夷派から開国派に転じたためだったとも言われますが、これも、推論

の域をでません。


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幕末維新を代表する公家といえば、三条実美岩倉具視を思い浮かべますが、姉小路公知がもし生きて明治を迎えていれば、その若さからも、あるいは彼らを凌ぐ存在になっていたかもしれませんね。




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by sakanoueno-kumo | 2018-05-30 22:49 | 幕末京都逍遥 | Comments(0)  

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