幕末京都逍遥 その70 「薩摩藩二本松藩邸跡」

相国寺の南側、京都御所の北側にあたる場所に、かつて薩摩藩二本松藩邸がありました。

現在、その敷地は同志社大学今出川キャンパスになっており、その校門前に石碑が建ちます。


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江戸時代、薩摩藩は、京屋敷として「その43」で紹介した錦小路藩邸と、伏見藩邸を持っていました。

文久2年(1862年)4月、薩摩藩国父の島津久光公武周旋のために兵1000人を率いて上洛した際には錦小路藩邸に入りますが、大軍が駐屯するには手狭だったため、同年9月、相国寺境内の一角を借り受けて、新たな藩邸を設けました。

それが、ここ二本松藩邸です。

敷地の広さは現在の同志社大学今出川キャンパスの約3分の2を占める5805坪(19000㎡)という広大な面積を有し、9棟の建物と多くの土蔵が立ち並んでいたそうです。

その後、錦小路藩邸が元治元年7月19日(1864年8月20日)の「禁門の変」焼失したこともあって、以後、薩摩藩の京都の拠点は、ここニ本松藩邸となります。

慶応2年(1866年)の薩長同盟締結の際には、当初はここ二本松藩邸が会合の場だったといわれ、その後、薩摩藩家老・小松帯刀の京屋敷に場を移して締結に至ったといわれます。


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明治維新後、薩摩藩京屋敷は廃止され、ここ二本松藩邸は旧会津藩士で京都府権参事を務めていた山本覚馬が買い上げます。

そして明治8年(1975年)、山本覚馬は妹・山本八重の婚約者で同志社英学校を創立したばかりの新島襄に、この土地を譲渡します。

それが、現在の同志社大学今出川キャンパスに引き継がれています。

大河ドラマ『八重の桜』で描かれていたエピソードですね。


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錦小路藩邸や伏見藩邸と比べて短い歴史でしかない二本松藩邸ですが、薩摩藩が歴史の主役だった数年間の拠点だった場所という意味では、歴史に大きな存在感を残した場所といえます。



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by sakanoueno-kumo | 2018-06-07 23:41 | 幕末京都逍遥 | Trackback | Comments(0)  

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