幕末京都逍遥 その74 「横井小楠殉節地」

京都御苑の南東、寺町通りと丸太町通の交差点を少し南に下ったあたりの歩道に、「横井小楠殉節地」と刻まれた石碑があります。

ここは、維新の十傑のひとりでもある横井小楠が襲われて落命した場所です。


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元は肥後熊本藩士でしたが、越前福井藩主の松平春嶽に招聘されて福井藩のアドバイザーとなり、春嶽が幕府の政事総裁職に就任すると、幕政改革にも関与します。

一方で、小楠は討幕派の志士たちにも、大きな影響を与えました。

幕末の人物たちのなかで、小楠に限っては、佐幕派、討幕派を超越した存在だったといっていいでしょう。


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勝海舟『氷川清話』の中で、「おれは、今までに天下で恐ろしいものを二人見た。それは、横井小楠と西郷南洲(隆盛)とだ」と語っており、また、その西郷隆盛も、「小楠が諸国遊歴した際、人材であると言った人で、その後、名を挙げなかった者はいなかった」と、小楠の人物鑑識眼を高く評価しています。

坂本龍馬が作成した有名な「船中八策」「新政府綱領八策」は、小楠が幕府に提出した「国是七条」と福井藩に提出した「国是十二条」をそれぞれ下敷きにしたと言われていますし、また、由利公正が起草した「五か条の御誓文」にも、小楠の「国是十二条」が大きく影響しています。

維新後、新政府に招かれ参与に就任しましたが、ただ、彼の思想があまりにも革新的だったため、単純な尊攘派からたびたび命を狙われ、そして明治2年1月5日(1869年2月15日)、太政官に出仕して退朝する途中に6人の尊攘過激派に襲われて落命します。


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向こうに見える森のような場所は、京都御苑です。

刺客たちは、御所のすぐ傍での襲撃を避けて、このあたりで待ち伏せしたのでしょうか。


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石碑の側面には「昭和七年七月再建之」とあります。

ネット情報によると、大正5年(1916年)建立の石標が損壊し、昭和7年(1932年)に新しく再建されたようです。

小楠は後世、佐幕派としてただひとり、維新十傑に数えられています。




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by sakanoueno-kumo | 2018-06-13 23:13 | 幕末京都逍遥 | Trackback | Comments(0)  

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