西郷どん 第23話「寺田屋騒動」 その2 ~薩摩藩士同士討ち事件~

 昨日(その1)の続きです。


 捕縛された西郷吉之助(隆盛)村田新八が鹿児島に護送された約2周間後の文久2年4月23日(1862年5月21日)、京のまちを震撼させる大事件が起きます。後世に「寺田屋事件」あるいは「寺田屋騒動」と呼ばれる薩摩藩士の同士討ち事件。幕末史を語る上で必須とされる大事件です。


e0158128_11283315.jpg 事件の1週間前の4月16日、薩摩藩の国父・島津久光1000人の家臣を率いて上洛します。その目的は、朝廷、幕府、雄藩の政治的提携を企図する幕政改革、いわゆる公武合体の実現のためで、これは、亡き兄・島津斉彬の遺志でもありました。しかし、斉彬の生前の頃とは違って、桜田門外の変以後、世論は「倒幕」「佐幕」かの時代に突入しており、久光の上洛は、倒幕派の志士たちを大いに刺激することとなります。久光の上洛は日本中の尊攘派志士たちの希望の光でした。


薩摩藩内の尊王攘夷派グループ精忠組のメンバーで、過激派として知られていた有馬新七もそのひとりでした。有馬は、藩主の「諭告書」が出されたのを受けて脱藩突出策を中止した大久保一蔵(利通)らに対し、かねてから不満を募らせていました。つまり、突出策を捨てきれないでいたんですね。有馬は久光に従って京に入りましたが、水面下で諸藩の過激派志士と結び、久光の上洛を背景に京にて武力蜂起し、一気に倒幕勢力を形成しようと目論んでいました。


ところが、倒幕の意思などまったくない久光は、朝廷との面会で浪士鎮圧の命を受けます。もともと秩序を重んじる保守的な久光は、かねてから過激派の行動を苦々しく思っていました。久光は有馬たち過激派志士の行動を「暴発」として抑え込もうとします。この展開に驚愕した有馬たち過激派は、憂国の念から憤激し、幕府と協調路線をとる関白・九条尚忠と京都所司代・酒井忠義を襲撃し、そのを久光に奉じることで、否が応でも久光を倒幕へ向かわせようと画策します。4月22日、久留米藩の真木和泉と密談した有馬は、23日に計画を実行することで合意。そして当日、薩摩藩の定宿だったここ寺田屋に集まることで決まります。


e0158128_20170202.jpge0158128_20165813.jpgこの情報をキャッチした久光は、精忠組のメンバーである奈良原喜八郎(繁)、大山格之助(綱良)ら剣に覚えがある鎮撫使9名を選び、「場合によっては切り捨てても構わぬ」と言い含めて寺田屋に派遣しました。寺田屋に着いた奈良原たちは、当初はで有馬たちと面会して説得にあたりましたが、やがて、双方激高して激しい斬り合いに発展します。有馬は剣の達人だったといいますが、狭い室内での斬り合いだったため刀が折れてしまい、鎮撫使の道島五郎兵衛に掴みかかって壁に押さえつけ、近くにいた仲間の橋口吉之丞「我がごと刺せ」と命じ、背中から刀で貫かれて相手共々絶命しました。その後、2階にいた志士たちも降りてきて加勢しようとしますが、これを見た奈良原は刀を投げ捨てて両手を広げてこれに立ち塞がり、「待ってくれ、君命だ、同志討ちしたところで仕方がない」と懸命に訴え、ようやく騒動は沈静化します。このとき説得に応じて投降したメンバーの中には、西郷信吾(従道)、大山弥助(巌)、篠原冬一郎(国幹)らがいました。いずれも帰藩のうえ謹慎を命じられています。


この戦闘で寺田屋にいた6名(有馬新七・柴山愛次郎・橋口壮介・西田直五郎・弟子丸龍助・橋口伝蔵)が死亡、2名(田中謙助・森山新五左衛門)が重傷を負い(のちにこの2名も切腹)、鎮撫士側は、有馬と共に橋口に突き刺された道島五郎兵衛のみが死亡しました。この悲劇によって、久光は朝廷より大きな信頼を得ることになったわけですから、なんとも皮肉な話ですね。


ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
   ↓↓↓



by sakanoueno-kumo | 2018-06-19 00:10 | 西郷どん | Trackback | Comments(2)  

トラックバックURL : https://signboard.exblog.jp/tb/27348256
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
Commented at 2018-06-20 21:19 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by sakanoueno-kumo at 2018-06-20 23:33
> 非公開コメントさん

過分なお言葉をありがとうございます。

ご指摘のサイトですが、検索してみたら、たしかに何度か見たことがあるサイトでした。
でも、文章が長いので、じっくり読み込んだことはありません。
ブログであまり長い文章は読む気がしないので、当ブログは、なるべく長くならないように心がけています。
コメントへのRESについてですが、わたしは、避難や誹謗中傷のコメントは削除することがありますが、ご批判は、できるだけお答えしています。
ですが、これも、人それぞれでいいんじゃないでしょうか?
ただ、ブログ内でボロカスに批判しておきながら、自身への批判は受け付けないといったブログは、わたしも卑怯だとは思いますけどね。
まあ、そういうサイトはできるだけ見ないようにしています。

<< 幕末京都逍遥 その78 「尊攘堂」 西郷どん 第23話「寺田屋騒動... >>