西郷どん 第24話「地の果てにて」 ~徳之島、沖永良部島への流島~

e0158128_15131310.jpg 文久2年(1862年)4月、国父・島津久光の命に背いたことで捕縛されて国元に護送された西郷吉之助(隆盛)村田新八は、すぐさま流島処分が言い渡され、同年7月、西郷は徳之島へ、村田は喜界島へとそれぞれ流されます。このときのことを西郷は、同年8月20日付で奄美大島に住む木場伝内に宛てた書簡のなかで、「三十日も我家に在らずして又遠島と申すは、誠に稀成るものに御座候」と嘆いています。わずか半年ほど前に奄美大島から帰藩したばかりで、ゆっくりする間もなく下関、京へと旅立ったかと思えば、また島流しの身になったわけですから、自身の信念を貫いた結果とはいえ、我ながら情けないという思いだったに違いありません。


ついでに記すと、吉之助が流罪になったことにより、次男の西郷吉二郎と四男の西郷小兵衛は役職を解かれ、三男の西郷信吾(従道)寺田屋事件に関わっていた罪として謹慎を命じられました。これにより、西郷家の知行家財はすべて没収となり、残された家族はたちまち困窮することになります。西郷家にとっては、どん底の時代だったといえるでしょう。「兄さぁ、なんちことをしちょっとよ!」と思ったことでしょう(薩摩弁、あってますか?笑)。


e0158128_15135174.jpg 前回の奄美大島での生活と違い、今回は罪人としての服役ですから、当然、知行などがあるはずもなく、島での生活は厳しいものになるはずでした。ところが、西郷にとって嬉しい出来事がありました。愛加那の来訪です。彼女は、2歳半になった菊次郎と生まれたばかりの長女・菊章(のちの菊子)を連れて8月下旬に徳之島にやってきます。菊章が生まれたのは、ちょうど西郷が鹿児島から島に向かう渡海中の7月2日だったといいます。徳之島は、奄美大島の南西約40kmの洋上に浮かぶ島で、しかも愛加那が住んでいた龍郷は、奄美大島の最北端の村でした。生後1ヶ月余りの首もすわらない赤ん坊を連れての渡海は、いくら海に慣れていた島人とはいえ、容易ならざることだっただろうと想像します。それだけ、愛加那の西郷に対する想いが強かったということでしょうね。西郷にとって、この再開は欣喜雀躍たる思いだったに違いありません。


 ところが、その喜びもつかの間、この直後、薩摩藩当局から西郷の沖永良部島への移島命令が届きます。その理由はわかりませんが、薩摩藩における沖永良部島への流島刑は、死罪に次ぐ重罪を意味していました。久光の怒りのほどが窺えますね。あるいは、ドラマのように、西郷への怒りの感情が再燃するような出来事があったのかもしれません。もちろん、ヒー様が久光を侮辱したというのは、ドラマの創作ですが。


 西郷と愛加那の再会は、わずか数日間で終わりました。潔く藩命に従って沖永良部島に移送された西郷でしたが、そこでの流島生活は過酷を極めました。獄舎はわずか二間四方(約3.6m四方)しかなく、しかも、がその中にあったため、四六時中悪臭が漂い、そのなかで食事も摂らなければならない環境でした。西郷はこの劣悪な状況のなかで、みるみる憔悴していきます。その西郷を助けたのが、ドラマにも出てきた島役人の土持政照でした。西郷の人柄に魅せられた土持は、老朽化を理由に獄舎の立て替えを代官に訴え、自費で獄舎の横に民家を建て、そこを座敷牢として西郷を移らせます。そのおかげで西郷の体力は急速に回復しました。のちに土持は西郷と兄弟の約を結ぶ関係になります。人間、ピンチを乗り越えられるかどうかの瀬戸際には、やはり、人間性がものを言うんですね。西郷、半端ないって!(笑)。



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by sakanoueno-kumo | 2018-06-25 22:19 | 西郷どん | Trackback | Comments(0)  

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