幕末京都逍遥 その88 「京都所司代上屋敷跡」

二条城の北側にある京都市立待賢小学校(現在は廃校)の敷地内に、「京都所司代跡」と刻まれた石碑があります。

ここはかつて、江戸幕府の京都所司代上屋敷があった場所とされています。


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京都所司代は室町時代の侍所にはじまって徳川幕府に受け継がれ、江戸時代には、京都の治安維持の任務を遂行する幕府の部署でした。

慶長5(1600年)の関が原の戦いの直後に奥平信昌が就任して以降、幕末まで58人がその任に就きました。


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幕末の動乱期に入ると、京都所司代レベルの力だけでは京の治安は守れないと判断した幕府が、京都守護職という新たな軍事職を設置し、会津藩主・松平容保をその任に就かせます。

通常、京都所司代は10万石前後の譜代大名が任命される役職でしたが、京都守護職の会津藩は23万石の大藩で、しかも軍事力には定評がありました。

以後、所司代はその管理下に置かれることとなります。


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容保が京都守護職に就いたときの京都所司代は不在で播磨姫路藩主の酒井忠績が代行しており、以後、越後長岡藩主の牧野忠恭、山城淀藩主の稲葉正邦と相次いで交代し、最後は、容保の実弟で伊勢桑名藩主の松平定敬が就任します。

ここから、会津、桑名、そして当時将軍後見職だった一橋慶喜(のちの徳川慶喜)の頭文字を取った一会桑政権が始まります。



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by sakanoueno-kumo | 2018-07-06 05:18 | 幕末京都逍遥 | Trackback(1) | Comments(0)  

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