幕末京都逍遥 その89 「若州小浜藩邸跡」

二条城南門から100mほど南下したあたりに、「若州小浜藩邸跡」と刻まれた石碑があります。

このあたりには、かつて若狭小浜藩の京屋敷がありました。


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小浜藩主の酒井家は、江戸時代、京都所司代を3代が務めた譜代大名家でした。

特に、幕末の最後の14代当主・酒井忠義は、天保14年(1843年)から嘉永3年(1850年)の8年間と、安政5年(1858年)から文久2年(1862年)の4年間の計12年間の長きに渡って京都所司代を務めました。

2回目の京都所司代に着任した忠義は、大老・井伊直弼の腹心として安政の大獄を指揮します。

かつて若狭小浜藩の家臣だった梅田雲浜を逮捕したのも、この忠義でした。

そのため忠義は尊王攘夷派に恨まれ、寺田屋事件では標的にされています。


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また、この屋敷は、将軍後見職だった一橋慶喜が、上洛後の文久3年(1863)12月から、最後の将軍・徳川慶喜として二条城に入る慶応3年(1867)9月までの3年10ヶ月を過ごした場所でもあります。

慶喜はここで、京都守護職や老中、所司代らと協議を重ね、大政奉還の構想を練ったと言われています。


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石碑の後ろに建てられていた説明板によると、その敷地は東西220m、神泉苑町通から智恵光院通まで南北260m、御池通から三条通まで、その他、家臣の屋敷が西側につづき、これらを含めると約2万坪の広大な藩邸だったそうです。


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石碑所は、「開陽堂」という刀剣・古美術を扱うお店の前に建てられています。

店頭には、幕末京洛の図や刀剣が掲げられています。

いかにも京都らしいお店です。




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by sakanoueno-kumo | 2018-07-07 05:25 | 幕末京都逍遥 | Trackback(1) | Comments(0)  

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