幕末京都逍遥 その93 「永井尚志邸跡(郡山藩邸跡)」

二条城の北西300mほどのあたりに、かつて大和郡山藩の屋敷がありました。

慶応3年(1867年)4月から同年12月まで、この大和郡山藩の屋敷には幕府大目付永井玄蕃尚志が住んでいました。


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邸跡には石碑や説明板などはなく、はっきりとした場所がわからなかったのですが、資料によると、写真の公園あたり一帯だったといいます。


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永井尚志といえば、幕末の京都で活躍した幕府の重役です。

八月十八日の政変禁門の変の際には幕府側の使者として朝廷と交渉し、また、大政奉還においてもその交渉能力を発揮しました。

その大政奉還の際には、その立役者のひとりである坂本龍馬もたびたび永井のもとを訪れ、協力を要請していました。

そんなことから、ドラマや小説では、幕府重臣のなかでは比較的開明的な人物として描かれることが多い人物です。


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一方で、坂本龍馬暗殺の黒幕だったのではないかという説もあります。

龍馬を暗殺した実行犯は京都見廻組佐々木只三郎一派で、その組織のトップは、幕府大目付である永井でした。

昨年、新たに見つかったとされる龍馬直筆の書状(暗殺の5日前に福井藩重臣の中根雪江宛に書かれたもの)に、「坂本先生遭難(暗殺)直前ノ書状ニテ他見ヲ憚ルモノ也」と朱書きの付箋が貼られ、トップシークレットの扱いになっていたと発表されましたが、その中には、龍馬が永井と明日(11月11日)に会う予定で、中根に同行してほしいと記されています。

あるいは、中根は龍馬暗殺を指示したのが永井だと知って(あるいはそう思って)、暗殺直前の手紙に自分の名前が書かれていることから嫌疑が及ぶことを恐れ、封印したのではないか・・・との推論があります。

ありえなくはないですね。

龍馬は暗殺前日にもここを訪れ、永井と面会しています。


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その後、永井は榎本武揚と共に蝦夷地にわたり、最後まで新政府軍と戦います。

そんな経歴を見ても、やはり、永井から見れば、薩長の間を渡り歩いていた龍馬は、目障りな存在でしかなかったかもしれません。



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by sakanoueno-kumo | 2018-07-11 23:30 | 幕末京都逍遥 | Trackback | Comments(0)  

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