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幕末京都逍遥 その100 「八木邸跡(新撰組壬生屯所跡)」

二条城から1kmほど南下した洛西の壬生地区にやってきました。

壬生といえば、やはり新選組ですね。

そこで最初に訪れたのは、新選組の最初の屯所となった壬生村の郷士・八木源之丞の屋敷跡です。


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文久3年(1863年)春、第14代将軍・徳川家茂の警護のために清河八郎率いる浪士組が上洛しますが、その宿舎のひとつとして使われたのがここ八木家の屋敷でした。

清河ら浪士組のほとんどは、在京20日余りで再び江戸に戻りますが、ここに分宿していた芹沢鴨、新見錦、近藤勇、土方歳三ら十数人は、引き続き京都の警備のため残留します。

これが、のちに新選組となるんですね。


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入口には「新選組遺蹟」と刻まれた石碑があります。

側面には「昭和六年七月」とあります。


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その奥には、「新撰組屯所遺蹟」と刻まれた立派な石碑が。


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そして門の前には「誠」指籏が掲げられ、道中には説明板があります。


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ここから先は有料で、写真撮影はNGです。

見学料は1000円、抹茶付きです(笑)。


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新選組の前身、壬生浪士組の時代、彼らは近藤勇の一派芹沢鴨の一派に分かれていました。

そして彼らがここに居着いて半年ほどが過ぎた文久3年9月16日か18日(1863年10月28日か30日)、芹沢鴨が近藤一派によって粛清されます。

この現場となったのも、ここ八木邸でした。

刺客メンバーは諸説ありますが、土方歳三、沖田総司は確実に入っていたようです。

屋敷内には、そのときのものと伝わる刀傷が鴨居などに残っています。

写真で伝えられないのが残念。


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芹沢の死後、壬生浪士組は新選組と名を改め、池田屋事件以降は200名を超す集団へと成長し、慶応元年(1865年)夏に西本願寺に屯所を移しますが、それまで、ここが新選組の拠点でした。

まさに、新選組発祥の地といっていいでしょうね。

現在、屋敷は新選組ゆかりの建築として京都市指定有形文化財に指定されています。




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by sakanoueno-kumo | 2018-07-24 23:59 | 幕末京都逍遥 | Comments(0)  

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