幕末京都逍遥 その110 「伊東甲子太郎外数名殉難之跡(本光寺)」

前稿で紹介した不動堂明王院から北へ150mほど上ったところにある本光寺の山門の横に、「伊東甲子太郎外数名殉難之跡」と刻まれた石碑があります。

ここは新選組元隊士の伊東甲子太郎御陵衛士の面々が粛清された油小路事件があったとされる場所です。


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伊東甲子太郎は新選組中途加入組でしたが、その高い学識北辰一刀流で鍛えた剣術、さらには容姿端麗で巧みな弁舌から、たちまち隊内で存在感を表し、人望を集めました。

そんな伊東を近藤勇参謀兼文学師範に任じて重用しますが、しかし、もともとは水戸学を学んだ勤王志士だった伊東は、近藤らとは「攘夷」の点では結ばれていても、佐幕色を強めていく新選組の方針に矛盾を感じはじめ、やがて新選組を離脱

同志14名と共に御陵衛士を結成します。


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やがて近藤勇は、御陵衛士にスパイとして送り込んでいた斎藤一から、伊東が近藤の暗殺を計画しているとの報告を受け、伊東の殺害を決意します。


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慶応3年11月18日(12月13日)、近藤は資金の用立て・国事の相談があるとの口実で七条の妾宅に伊東を招いて酒宴を開き、その帰路、新選組隊士の大石鍬次郎らが待ち伏せて、酔っている伊東を襲撃しました。

槍で襲われた伊東は、深手を負いながらも一太刀敵に浴びせ、「奸賊ばら」と叫んで倒れたといいます。

その絶命した場所が、ここ本光寺前だったと伝えられます。


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この扉の前だったのでしょうか?


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山門をくぐると、古い石塔があり、その横に「伊東甲子太郎絶命の跡」と刻まれた新しい石碑があります。

伝承によると、かつてこの石塔は本光寺門前にあったそうで、伊東はこの石塔に寄りかかるように絶命したといいます。


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その後、伊東の遺骸は七条油小路の辻に放置されました。

これは、遺骸を引き取りに来た御陵衛士の仲間を誘き寄せるための罠で、その計画通り、藤堂平助ら同志8名が現場に現れ、待ち伏せていた永倉新八 、原田左之助ら約40名の新選組がこれを迎えちました。

近藤は、幹部のなかでは最年少だった藤堂は生かしておくよう命じていたといいますが、その命令が新選組隊士全員に行き届いておらず、激闘のすえ絶命します。

その他、御陵衛士の服部武雄、毛内有之助も死亡しました。

この事件が起きたのは坂本龍馬が暗殺された3日後のことで、伊東と藤堂は龍馬暗殺の当日、龍馬が暗殺された近江屋を訪問し、命を狙われているから土佐藩邸に移るよう忠告したといいますが、その日の夜に龍馬が暗殺されて、自分たちの忠告が届かなかったことを嘆いたといいます。

その3日後に自分たちが殺されることになろうとは、露ほども思わなかったでしょうね。




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by sakanoueno-kumo | 2018-08-09 00:22 | 幕末京都逍遥 | Trackback | Comments(0)  

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