幕末京都逍遥 その112 「御陵衛士屯所跡(月真院)」

東山にある高台寺の塔頭、月真院を訪れました。

ここは、新選組から分裂した伊東甲子太郎率いる御陵衛士が屯所とした場所です。


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伊東甲子太郎は新選組中途加入組でしたが、その高い学識北辰一刀流で鍛えた剣術、さらには容姿端麗で巧みな弁舌から、たちまち隊内で存在感を表し、人望を集めました。

そんな伊東を近藤勇参謀兼文学師範に任じて重用しますが、しかし、もともとは水戸学を学んだ勤王志士だった伊東は、近藤らとは「攘夷」の点では結ばれていても、佐幕色を強めていく新選組の方針に矛盾を感じはじめ、やがて新選組を離脱

同志14名と共に御陵衛士を結成します。


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「御陵衛士」とは、孝明天皇(第121代天皇)の御陵(墓)護衛者という意味。

熱烈な勤王志士だった伊東は、孝明天皇陵(後月輪東山陵)のある泉涌寺塔頭・戒光寺の長老である堪然の仲介によって孝明天皇の御陵守護の任を拝命していたため、この名称を掲げたのでしょう。


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慶応3年3月10日(1867年4月14日)に新選組を離脱した御陵衛士は、はじめは五条橋東詰の長円寺(善立寺説もあり)に屯所を構えていましたが、同年6月、ここ月真院に屯所を移しました。

新選組とは表面的には話し合いでの分裂でしたが、その思想は佐幕勤王倒幕という真逆の立場であったため、新選組の襲来を恐れていつも刀を抱いて寝たといいます。


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高台寺の塔頭を拠点としたため、御陵衛士はのちに「高台寺党」とも呼ばれるようになります。


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それから5ヶ月後の慶応3年11月18日(1867年12月13日)、「その110」で紹介した油小路において、新選組近藤勇らの謀略によって伊東甲子太郎、藤堂平助、服部三郎兵衛、毛内監物の4人が死亡。

残った同士は薩摩藩邸に逃げ、御陵衛士は解散を余儀なくされます。

ここに、わずか8ヵ月の御陵衛士の短い歴史が終わります。




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by sakanoueno-kumo | 2018-08-11 01:44 | 幕末京都逍遥 | Trackback | Comments(0)  

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