西郷どん 第31話「龍馬との約束」その1 ~坂本龍馬の鹿児島訪問~
「神戸勝方へ罷居候土州人、黒船借用いたし、航海の企これあり。坂元龍馬と申す人、関東へ罷り下り借用の都合いたし候処、能く談判も相付候よし。・・・<中略>・・・右辺浪人体の者を以て、航海の手先に召使ひ候へば、よろしかるべしと、西郷抔滞京中談判もいたし置き候間、大坂御屋敷へ内々御潜め置き申し候。」
西郷が小松に「手先に召使ひ候へば、よろしかるべし」と推したとありますね。実は、薩摩藩では文久3年(1963年)末に発生した長崎丸沈没によって多くの船乗りを失っていました。西郷や小松は、この代用として航海術を学んだ龍馬たちを活用しようと考えたわけです。勝からの依頼は、西郷たちにとっても願ったり叶ったりだったわけです。ただ、小松の書簡に「手先に召使ひ」とあるように、この時点で西郷らにとって龍馬たちはただの水夫という認識でしかありませんでした。ドラマや小説などに描かれるような友情が見栄えたというほどの出会いではなかったようです。
その後、龍馬たちは西郷とともに鹿児島を訪れたとされています。「されている」と表現したのは、実は正確な史料は残っていません。というのも、勝の依頼で京の薩摩藩邸に庇護された元治元年(1864年)11月初旬から元治2年(慶応元年)(1865年)4月5日までの5ヶ月間、その消息がわからないんですね。なので、その間、おそらくは西郷とともに鹿児島へ赴き、そこで船を出資してもらい、のちの亀山社中設立につながったと考えられています。ただ、あくまで「説」なんですね。
その龍馬が鹿児島を訪れた際、西郷の邸に招かれたときの有名なエピソードがあります。この時期すでに西郷の名は天下に轟いていましたが、龍馬が招かれた西郷の家は、あまりにも粗末な作りで雨漏りがひどかったといいます。耐えかねた妻の糸が「お客様に申し訳ないから屋根を修理しましょう」と西郷にお願いをしたところ、西郷は「今は国中の家が雨漏りをしている。我が家だけ直すわけにはいかない」と叱ったため、この会話を隣室で聞いていた龍馬は、大いに感心したといいます。ドラマでは、この逸話が少しアレンジされて描かれていましたね。この逸話が実話かどうかはわかりませんが、司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』にも出てくるエピソードです。西郷が藩の重役に出世しても粗末な家に住んでいたというのは事実なので、この逸話の相手が龍馬だったかどうかは疑わしいにしても、似たような夫婦の会話を耳にした「誰か」がいたのは事実だったのかもしれませんね。いかにも、西郷らしい逸話といえるでしょうか。
このあと長くなるので、西郷すっぽかし事件については明日の稿につづきます。
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by sakanoueno-kumo | 2018-08-20 17:01 | 西郷どん | Trackback | Comments(4)