人気ブログランキング |

幕末京都逍遥 その120 「圓光寺(村山たか墓所)」

前稿で紹介した金福寺でその生涯を終えた村山たかは、その本寺である圓光寺に葬られました。


e0158128_14105583.jpg


圓光寺の開基は徳川家康とされています。

慶長6年(1601年)、家康は国内教学の発展を図るため、下野足利学校第9代学頭・三要元佶(閑室)禅師を招き、伏見に圓光寺を建立して学校としました。

その後、相国寺内に移され、に寛文7年(1667年)に現在地に移されたそうです。


e0158128_14151597.jpg


山門をくぐると、いきなり視界に枝垂れ桜が飛び込んできます。


e0158128_14151903.jpg
e0158128_14152253.jpg


見事な枝垂れ桜です。


e0158128_14152580.jpg
e0158128_14152991.jpg
e0158128_14153464.jpg


品種に詳しくはないのですが、八重桜に似ているように思います。

ソメイヨシノエドヒガンなどより、鮮やかなピンクです。


e0158128_14171876.jpg


こちらは瑞雲閣


e0158128_14192138.jpg


そして本堂です。


e0158128_14192685.jpg


こちらは坐禅堂


e0158128_14193077.jpg


鐘楼


e0158128_14232135.jpg


そして、その奥にある墓地に、村山たか女墓があります。

こちらがその墓石です。


e0158128_14232442.jpg


たかは明治9年(1876年)に67歳で亡くなりました。

若き日の井伊直弼と情交を結び、直弼が幕府大老となると、大老の元カノとして京都に潜み、直弼のスパイとして働いたと伝わる村山たかですが、長らく、彼女と直弼の具体的な関係は不明でした。

ところが、平成23年(2011年)の末に京都市東山区の井伊美術館で直弼がたかへ宛てた手紙が発見され、その手紙は直弼が20代後半に書かれたものと思われ、藩の反対でたかと会えなくなった際の辛い心情が綴られていました。

この手紙によって、伝承が事実だったことが立証されました。


e0158128_14232853.jpg


若き日のたかは、芸妓となってシングルマザーになったと思えば直弼の愛人になり、直弼と別れると直弼のブレーンだった長野主膳と男女の関係になったともいわれ、恋多き女というイメージですが、直弼の死後はとなってその菩提を弔いながらストイックな晩年を過ごします。。

彼女が悪女だったのかどうかはわかりませんが、きっと、魅力的な女性だったのでしょうね。




「幕末京都逍遥」シリーズの、他の稿はこちらから。

 ↓↓↓

幕末京都逍遥



ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
   ↓↓↓


by sakanoueno-kumo | 2018-08-26 00:22 | 幕末京都逍遥 | Trackback | Comments(0)  

トラックバックURL : https://signboard.exblog.jp/tb/27517911
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]

<< 西郷どん 第32話「薩長同盟」... 幕末京都逍遥 その119 「金... >>