西郷どん 第32話「薩長同盟」その1  ~非義の勅命は勅命にあらず~

e0158128_17375658.jpg「非義の勅命は勅命にあらず」


 2度目の長州征伐勅命が下った際の大久保利通の有名な言葉ですが、ドラマでは省かれていましたが、この言葉に至るまでに、大久保は長州再征中止を訴える朝廷工作に奔走していました。


慶応元年(1865年)9月、上京していた大久保は、長州再征の決議は諸侯の衆議で決めるべきだと、内大臣・近衛忠房山階宮晃親王に説いてまわりますが、しかし、20日から21日明け方にかけての朝議で、一橋慶喜の強硬な主張によって長州再征が内決します。これを知った大久保は、尹宮朝彦親王(中川宮)のもとに駆けつけ、長州再征には諸侯のほとんどが反対しているため、再征を勅許しても大半の諸侯は出兵しないだろうといい、そうなれば、諸侯の大半が長州藩と同じく朝敵となってしまうが、それでもいいのか、と迫りました。しかし、朝彦親王に大久保の訴えを聞き入れる力はなく、それでも執拗に食い下がる大久保に辟易とした朝彦親王は、その圧力に押され、関白・二条斉敬宛の直書を書かされます。


e0158128_20093839.jpg 朝彦親王の直書を持った大久保は、すぐさま二条関白邸を訪れ、参内前の関白を引き止めて朝議を改めるよう3時間あまりに渡って議論して食い下がったといいます。関白は大久保の訴えに理解は示したものの、すでに内決しているためどうにもならないと答え、逆に、どうしたら良かろうと大久保に尋ねる始末だったといいます。大久保はここまで関白を追い込んでいました。この押しの強さは、西郷吉之助(隆盛)にはない大久保の真骨頂といえるでしょう。その後、大久保に捕まっていたため遅刻して参内した二条関白は、長州再征をもう一度考え直すよう提案したようですが、一橋慶喜の強硬な反対によって朝議が停止され、その後、孝明天皇叡断によって長州再征の勅許が下りました。天皇直々の決定とあらば、大久保としてもこれ以上は手の打ちようがありませんでした。翌22日の朝、大久保は朝彦親王の邸を訪れ、こう言い放ったといいます。


 「朝廷是限り」


 かつては同志だった朝彦親王に対する決別の捨て台詞ですね。この朝のことは『朝彦親王日記』に記されているので、実話と見ていいでしょう。後年、大久保は岩倉具視三条実美といった公家出身の人物と深く関わりながらも、心から信用することはなかったといいますが、この頃の経験からきたものだったかもしれません。


 翌23日、大久保は西郷に宛てて事の顛末を伝える長文の手紙を送っています。


「もし朝廷これを許し給ひ候はば、非義の勅命にて、朝廷の大事を思ひ、列藩一人も奉じ候はず、至当の筋を得、天下万民御尤もと存じ奉り候てこそ、勅命と申すべく候へば、非義の勅命は勅命に非ず候ゆゑ、奉ずべからざる所以に御座候」


ここで、「非義の勅命は勅命にあらず」が出てくるんですね。たとえ勅命といえども、万人が承服できない非正義のものならば、それは勅命ではない・・・と。大久保の覚悟のほどが窺える言葉ですね。と同時に、この当時の天皇観は、後世のそれほど絶対的な存在ではなかったことがわかります。彼らは「尊皇」スローガンに立ち上がった志士たちでしたが、天皇は尊ぶべき存在ではあっても、必ずしも従うべき存在ではなかったんですね。のちにこの手紙は、坂本龍馬によって長州藩の面々にも届けられます。幕府とも朝廷とも決別した薩摩藩が長州藩と手を組むのは、当然の流れだったといえるかもしれません。


 やっぱり長くなっちゃいました。薩長同盟のくだりは明日の稿にて。


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by sakanoueno-kumo | 2018-08-27 20:11 | 西郷どん | Trackback | Comments(0)  

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