幕末京都逍遥 その122 「忠成公(三条実万)隠棲地碑(薬師堂)」
前稿で紹介した葉山観音から西へ300mほど歩いたところある薬師堂に、「忠成公隠棲地」と刻まれた大きな石碑があります。
忠成公とは、幕末の公卿・三条実万の諡号。
あの明治の元勲・三条実美のお父さんです。
清華家の三条家に生まれた実万は、光格天皇(第119代天皇)・仁孝天皇(第120代天皇)・孝明天皇(第121代天皇)に仕え、議奏、武家伝奏、内大臣などを歴任しますが、久邇宮朝彦親王(青蓮院宮・中川宮)や近衛忠凞と親しく、安政5年(1858年)の日米修好通商条約調印には強く反対の立場をとります。
また、将軍継嗣問題では一橋派に与して関白・九条尚忠と対立し、さらに、いわゆる戊午の密勅の降下にも参画したとして、幕府大老・井伊直弼による安政の大獄で失脚。
落飾、謹慎を命じられ、洛南上津屋村に隠棲したのち、安政6年3月27日(1859年4月29日)、一乗村のこの地に移ってきました。
しかし、ほどなく病に倒れ、約半年後の安政6年10月6日(1859年10月31日)に薨去します。
毒殺説なんかもあったりしますが、享年58ですから、当時の寿命を考えると、普通に病没だったんじゃないでしょうか。
志半ばでこの世を去った実万でしたが、その遺志は息子の実美に受け継がれ、明治の元勲となります。
息子の栄達は、父の無念があったからこそだったでしょう。
ここを訪れたのは平成30年(2018年)3月31日、桜が綺麗でした。
「幕末京都逍遥」シリーズの、他の稿はこちらから。
↓↓↓
ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
↓↓↓
by sakanoueno-kumo | 2018-08-30 23:45 | 幕末京都逍遥 | Trackback | Comments(0)