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幕末京都逍遥 その123 「岩倉具視幽棲旧宅」

洛北の旧岩倉村地区やってきました。

この村には、幕末、都から追放された岩倉具視幽棲した屋敷がありました。


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現在、その屋敷は国の史跡に指定されています。


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門の前には、「岩倉具視幽棲宅」と刻まれた石碑があります。


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文政8年(1825年)に参議正三位・堀河康親の次男として生まれた具視は、天保9年(1838年)に公卿・岩倉具慶の養子になります。

安政元年(1854年)には孝明天皇(第121代天皇)の侍従となり、次第に朝廷内において台頭し、発言力を増してきました。

若き日の具視は攘夷派で、幕府の推し進める日米修好通商条約の調印に反対して「廷臣八十八卿列参事件」の中心人物となりますが、その後、幕府との調和の必要性を悟り、公武合体をすすめるため、孝明天皇の妹・和宮親子内親王の将軍家への降嫁を推進ます。

このとき具視は、将軍・徳川家茂から直筆の誓書を提出させることに成功し、孝明天皇から直々にその功労を労われました。

具視の推し進めた公武合体は、あくまで朝廷主導の公武合体であり、一貫して朝廷権威の高揚に努めていたのですが、ところが、尊皇攘夷派は具視を佐幕派の巨頭と見るようになり、尊攘派の圧力によって失脚に追い込まれます。


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文久2年(1862年)8月に蟄居処分となって朝廷を去った具視は、落飾して西賀茂の霊源寺や洛西の西芳寺に身を隠しますが、同年10月に長男の岩倉具綱がここ岩倉村に住居を用意してくれたので、移り住みました。

以降、洛中への帰参が許される慶応3年(1867年)11月まで、この地で5年間も蟄居生活を送ることとります。


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岩倉村に移り住んだ当初は、藤屋藤五郎廃屋を借りて住んでいましたが、その後、元治元年(1864)大工の藤吉の居宅(現在の附属屋)を購入し、主屋繋屋を増築して住居としたのが、この屋敷です。


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その主屋です。


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茅葺の質素な外観の建物で西側に玄関である式台を設け、玄関、6畳の次の間、床の間のある6畳の座敷と東西一列に部屋が並ぶ間取りで、南側に縁側を設けています。


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慶応3年(1867年)になると、土佐の坂本龍馬中岡慎太郎、薩摩の大久保利通など倒幕派の志士たちが頻繁に具視のもとへ訪れるようになりますが、彼らとの面会は、この主屋で行われていたと伝わります。


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障子は具視の孫である東伏見宮周子が御所から譲り受けたものだそうで、外側から見ると普通の障子ですが、内側から見ると、変わったデザインになっています。


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主屋は、その東伏見宮周子によって昭和7年(1932年)に「鄰雲軒」と名付けられました。


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主屋の玄関


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主屋の北側にある附属屋です。

具視がここに移り住んだ当初は、この附属屋だけだったそうです。


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附属屋の中。


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主屋と附属屋の間の中庭


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主屋西側の中門と正門


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その中門をくぐると、主屋南側のがあります。

庭の向こうに、何やら墓石のような石碑が見えます。


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岩倉村瘞髪碑(遺髪碑)だそうです。

具視の遺髪が埋葬されているそうです。


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碑文は具視の右腕だった井上毅によるものです。


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遺髪碑の北隣には、具視の子息・岩倉具定、岩倉具経の碑もあります。

碑文は、大久保利通の子息・大久保利武によるものです。


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遺髪碑の東側には、具視手植のものと伝わる松の巨木があります。


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最後に、岩倉具視の遺品類や明治維新関係文書などを展示・収蔵するために昭和3年(1928年)に建設された「対岳文庫」です。

「対岳」とは具視の雅号で、ここ岩倉村に対峙する雄大な比叡山を見て名付けたそうです。

岩倉村で幽棲すること5年、王政復古の大号令とともに、具視は再び中央政界に復帰するべくここ岩倉村をあとにします。




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by sakanoueno-kumo | 2018-08-31 16:30 | 幕末京都逍遥 | Trackback | Comments(0)  

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