西郷どん 第34話「将軍慶喜」 ~慶喜の将軍就任と大政奉還~

 第二次長州征伐、第14代将軍・徳川家茂の急死、孝明天皇の崩御、一橋慶喜の将軍就任から、一気に翌年秋の大政奉還まで話が進みました。約1年間が一瞬で過ぎてしまいましたね。薩摩視点の物語ですから、その全てを描く必要はなかったかもしれませんが、この1年間というのは幕府にとっても雄藩にといっても激動の1年間で、普通なら3~4話ほどかけて描くべきところです。慶喜にしても、これまでヒー様として本来は面識などなかったであろう西郷吉之助(隆盛)とさんざん接点を持たせておきながら、将軍慶喜の期間はなったく描かないというのは、意味がわからない。何のためのヒー様だったのでしょう? 慶喜がやった仕事は大政奉還だけではありません。


e0158128_15131310.jpgまた、西郷だけにスポットを当てたとしても、この間、慶応3年(1967年)5月には慶喜に対抗した四侯会議を画策し、土佐宇和島などに足を運んで周旋し、これを実現させています。このとき、土佐藩主の山内容堂や宇和島藩主の伊達宗城との会見時にも、面白いエピソードがあったのですが、残念ながら描かれませんでしたね。結果的にこの会議はうまく運ばず、この失敗を契機に薩摩藩は討幕路線に舵を切っていくことになります。そして、同月には中岡慎太郎の仲介によって土佐藩の乾退助、谷干城好戦派との間で武力討幕を念頭においた薩土密約を結ぶのですが、しかし、その翌月には、こんどは武力討幕によらない大政奉還のための薩土盟約を、坂本龍馬の仲介のもと土佐藩の後藤象二郎、福岡孝弟らと結びます。つまり、薩摩藩と土佐藩は同時期にこの2つの相反する同盟を結ぶのですが、このどちらの会談にも薩摩藩の代表として臨んだのが西郷でした。政治家・西郷にとってこの二重契約はどんな意図を含んでいたのか。今回のドラマではどのような解釈で描かれるのか楽しみにしていたのですが、まったくスルーとはびっくりです。


今年のドラマでは、そういった西郷の政治活動というのがほとんど描かれないため、西郷がいかに心優しい素晴らしい男だったかということは伝わっても、西郷がなぜ維新の巨魁となったのかが、ぜんぜん伝わらないんですよね。この前まで戦わずして勝つと言っていた西郷が、ここに来て急に好戦的になってきた理由もよくわからない。わたしは、最終回を観るまであまり批判はしたくないのですが、はっきり言って、今話は内容がスッカスカでした。


e0158128_19210653.jpg 今回のサブタイトルは「将軍慶喜」なので、慶喜の将軍就任について少し触れておきましょう。長州再征の最中に将軍家茂が急死したわけですが、その後継者は、慶喜以外、適当な人物はほとんどいませんでした。家茂は死に際して田安亀之助(家茂の従兄弟)を後継者とする遺言を残したといわれますが、このとき亀之助はわずか4歳、国事多難な情勢のなか、幼君では舵取りが困難との理由で多くの大名らが反対。老中・板倉勝静、稲葉正邦、前福井藩主・松平春嶽、京都守護職・松平容保、所司代・松平定敬らが、こぞって慶喜を推します。


 ところが当の慶喜は、徳川宗家の相続は承知したものの、将軍就任は容易に受けようとはしませんでした。この態度は、困難な政局を前にして、多くの人々の推薦を得てから将軍職に就き、恩を売ったかたちで将軍になることで政治を有利に進めていく狙いがあったのでは・・・との見方がありますが、その真意は定かではありません。いわば、幕府=沈みかけの船の船頭となるのを拒んでいただけかもしれません。支持率を落とした政権与党の党首になるようなものですからね。慶喜は後年の回想録で、このときの気持ちを次のように語っています。


 「遂に板倉・永井を召し、徳川家を相続するのみにて、将軍職を受けずとも済むことならば足下等の請に従わんといいしに、それにてもよしとの事なりしかば、遂に宗家を相続することとなれり。されども一旦相続するや、老中等はまた将軍職をも受けらるべしと強請せるのみならず、外国との関係などもありて、結局これをも諾せざるを得ざるに至れり。かかる次第にて、予が政権奉還の志を有せしは実にこの頃よりの事にて、東照公(家康公)は日本国のために幕府を開きて将軍職に就かれたるが、予は日本国のために幕府を葬るの任に当るべしと覚悟を定めたるなり。」と。


 慶喜がすでにこの頃から大政奉還の志を持っていたという述懐は眉唾ものですが、英明な慶喜のことですから、この局面での将軍職就任が、いかに「貧乏くじ」であることは、直感的に感じていたのかもしれませんね。


 結局、孝明天皇の強い希望で慶喜に将軍宣下がなされ、家茂の死から4ヶ月後の慶応2年12月5日(1867年1月10日)に第15代将軍の座に就きますが、そのわずか10ヶ月後の慶応3年10月14日(1867年11月9日)、慶喜は政権を朝廷に返上する上表を呈し、翌15日に天皇が奏上を勅許します。いわゆる大政奉還ですね。これにより、初代・徳川家康以来、征夷大将軍として264年にわたって保持していた江戸幕府が、さらには、源頼朝によって鎌倉幕府が開かれ以来、約700年続いた武士による政治は終わりを告げます。


 ドラマ中、西郷が慶喜の大政奉還に対して、武力討幕派の勢いをかわしただけの詭弁だと言っていましたが、これについては、わたしもおそらくそうだったのではないかと思っています。政権を返されたとて、700年もの間政治から遠ざかっていた朝廷に政権運営能力はなく、実質的にはこれまでどおり徳川家が運営していくこととなるだろう。慶喜はこの大政奉還に便乗して、あるいはこれを利用して、これまで以上に幕権を強化していこうとさえ考えていたといわれています。天皇を隠れ蓑にして実権を握る・・・つまり、名を捨てて実を取るというわけですね。たしかに、内乱回避して、なお且つ徳川本家を守るという道は、この時点ではもはや大政奉還しか道はなかったでしょう。その意味では、慶喜の選んだ道は最良の方策だったといえます。しかし、大政奉還後の構想は、慶喜が考えるほどあまいものではありませんでした。慶喜が考えるほど、討幕側は馬鹿じゃなかったんですね。「家康の再来」と讃えられるほど英明として知られた慶喜でしたが、このあたりの甘さは、やはり苦労知らずの貴公子、所詮はおぼっちゃんだったのかもしれません。



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by sakanoueno-kumo | 2018-09-10 18:56 | 西郷どん | Trackback | Comments(2)  

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Commented by 一言 at 2018-09-12 14:52 x
>約1年間が一瞬で過ぎてしまいましたね。

多分、このドラマの制作者は、幕末の政治に興味がないのだと思います(笑)。だから政治家としてのヒー様はどうでもいい。きっと制作者は「幕末の政治なんて面白くないから西郷の家族、恋愛にポイントをおこう!岩倉の家にトラップを仕掛けるのも、つまらない話が面白くなるからいいよね!」と考えているのだと思う。当然政治家としての西郷なんてスルー。

>ここにきて急に好戦的になってきた理由もよくわからない。

制作者側としては「慶喜がフランスに薩摩を売ろうとしている、この売国行為をやめさせるためには武力倒幕しかない」ということを描きたいのではないかと思います。ただそれをうまく描けていない。このドラマの西郷は「日本を良くする」とか「民が腹いっぱい食べられる国を作る」とか抽象的なことしか言っていないので、『薩摩を守るんだ』という描き方をしてもピンとこない。だから「薩摩を売ろうとする慶喜と戦う」と描いても説得力が出ない(これが「翔ぶが如く」だと薩摩隼人の誇りを描いていたのでこうしても説得力があったのかもしれない)。

良く題材が悪いから面白くない(例えば「花燃ゆ」)とか言いますが、要は描き方一つだと思うんですよね。以前私がコメントした「オスマン帝国外伝」では1話まるまる使って「皇帝スレイマンを怒らせた妃ヒュッレムは、離宮に追放となる」というドラマを描いていたのですが(しかもそれしか描いていない)、後宮内の人間関係をきちっと描いてきているので面白い。だからどんなドラマでも題材ではなく、描き方なのだと思います。
Commented by sakanoueno-kumo at 2018-09-12 23:53
> 一言さん

おそらく、歴史をあまり知らない人にも、わかりやすいようにという趣旨だと思うのですが、だとしたら、端折る部分を間違えてますね。
わたしは、斉彬時代が長すぎたと思っています。
おそらく、大物ハリウッドスターをそう簡単に殺すわけにはいかなかったという大人の事情が絡んでいるのかなあと思っています。
あの、西郷の下積み時代が長すぎたため、西郷伝の本当に必要な個所を削らなければならなくなったと。
最終回まであと十数話しかありませんが、この短い間に江戸無血開城から戊辰戦争、廃藩置県に征韓論政変から西南戦争まで描かねばなりません。
たぶん、そうとう端折られると思いますよ。
先が思いやられます。

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