幕末京都逍遥 その131 「土佐四天王像」

前稿天龍寺塔頭の松厳寺にある坂本龍馬像を紹介しましたが、嵯峨野にはもうひとつ龍馬の像があります。

それがこれ。


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天龍寺から竹林を北に抜けて田園風景が広がるなかに、「無動庵」というカフェがあるのですが、その前にあります。

像は龍馬だけでなく、武市半平太、中岡慎太郎、吉村寅太郎と共にあります。

彼ら4人を「土佐四天王」と言うんだとか。

そんな呼称あったっけ?


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説明板によると、「風雲急を告げる幕末の京洛に於いて元治元年(1864)坂本龍馬は中岡慎太郎と長州本陣天龍寺に長州藩士の来島又兵衛、久坂玄瑞を訪ねるために立ち寄ったという口碑を伝えている。」とあります。

これ、前稿の説明書きと同じですね。

繰り返すようですが、これは伝承であって史実ではありません。


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仮にその伝承に基づいたとしても、龍馬と中岡はともかく、武市と吉村は関係ありません。

ではなぜ、ここに4人の像があるのか・・・。


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実は、もともとこの像は「その25」で紹介した四条河原町の高瀬川沿いの旧土佐藩邸役宅址にあったそうで、現地の再開発に伴って撤去され、行き場を失ってここに移されたそうです。

なるほど、土佐藩邸前なら、この4人の像があっても不思議ではありませんね。

もっとも、武市以外の3人は、脱藩して藩邸には寄り付かなかった人物ではありますが・・・。


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せっかくなので、4人のアップを載せておきます。

まずは坂本龍馬


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そして中岡慎太郎


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吉村寅太郎


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最後に瑞山こと武市半平太


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「土佐四天王」という呼称はあまり耳にしたことがありませんが、この4人が全て死んじゃったことで、土佐は大した人物が明治まで生き残っておらず、薩長の後塵を拝することになったのは間違いありません。




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by sakanoueno-kumo | 2018-09-14 01:10 | 幕末京都逍遥 | Trackback | Comments(1)  

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Commented by heitaroh at 2018-09-21 19:22
土佐四天王ですか。思わず「!」と。長州ファイブとか薩摩何とか言いますけど、ああいうのっていつ頃から言われだしたんですか?長州ファイブは少し前にあったような気がしますが。

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