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幕末京都逍遥 その133 「村岡局(津崎矩子)像(嵐山公園)」

嵯峨野の嵐山公園内に、幕末の女傑村岡局の像があります。

村岡局は、女だてらに勤王家として熱心に活動し、西郷隆盛梅田雲浜らとも深く関わった女性です。


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彼女は元の名を津崎矩子といい、公卿の近衛忠煕に仕え、中臈を経て老女となり、村岡局を名乗りました。

黒船来航以降、近衛忠熈が尊王攘夷派の公卿として頭角を現すと、彼女は清水寺の僧・月照や水戸の鵜飼吉左衛門らと親交を持ち、志士相互及び志士と公家との連絡に当たります。

その月照を通して知り合った西郷隆盛の活動も手助けします。


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島津斉彬の養女・篤姫が近衛忠熈の養女として江戸幕府13代将軍・徳川家定輿入れした際には、既に亡くなっていた忠熈の正室・郁姫に代わって養母役を務め、江戸城大奥まで付き従っています。

そして、将軍継嗣問題では一橋派に与し、西郷隆盛や幾島(篤姫の世話係)と連携して大奥内の工作に力を尽くします。


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しかし、彼女の働きも虚しく、一橋派は敗北します。

そして、大老・井伊直弼による安政の大獄が始まると、村岡も捕えられて江戸に送られました。

安政の大獄で処罰された女性は他にも何人かいましたが、そのほとんどは、夫と共に処罰された女性たちで、女性単独で処罰された例は、おそらく村岡だけだったと思います。

しかも、当時の彼女は既に74歳のばあさん。

幕府の役人も扱いに困ったと伝わります。


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取り調べの末、村岡は押込30日に処せられました。

座敷牢のようなものですね。

彼女の果たした働きとしては寛大な処分ですが、その背景には、篤姫の尽力があったともいわれます。


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この銅像は、昭和3年(1928年)に建てられたものだそうで、見る限り、とてもそんな女傑には見えません。

普通の優しそうなおばあちゃんですね。

晩年は付近の子女の教育につくした嵯峨庶民の慈母だったと伝わりますが、この像は、そのときの姿なのかもしれません。




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by sakanoueno-kumo | 2018-09-16 00:59 | 幕末京都逍遥 | Comments(2)  

Commented by heitaroh at 2018-09-21 19:18
福岡県の姫島という所に野村望東尼が幽閉された際には「幽閉」と言いながら、実際には「死ね」ということだったようです。当時の武士は女は斬りたがりませんからね。だから、自然死を期待した幽閉だったと。ところが、女はしぶといというか、そんな境遇でも死なかったわけで。福岡藩としては想定外の出来事だったのではないかと。村岡局の幽閉はそこまではなかったのだとは思いますが、幽閉ということ自体にはそういう意味もあったのかと。
Commented by sakanoueno-kumo at 2018-09-22 11:03
> heitarohさん

なるほど。
とくに野村望東尼も村岡局もばあさんでしたから、過酷な環境に置いたらほっといても死んでくれると思ったのでしょうね。
実際、野村望東尼はそれから2年くらいで死んじゃいますから、あるいは、幽閉期間に弱っていたかもしれませんね。
その点、村岡局は明治6年、90歳近くまで生きますから、すごいばあさんです。

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