西郷どん 第35話「戦の鬼」その1 ~小御所会議(王政復古の大号令)~

慶応3年11月15日(1867年12月9日)、京都河原町の近江屋において、坂本龍馬中岡慎太郎が何者かの手によって襲撃されました。龍馬はほぼ即死。中岡は蘇生して2日間生き延びますが、その後、容体が悪化して死去します。龍馬33歳、慎太郎30歳でした。この近江屋事件については、過去、拙ブログでは何度も取り上げてきていますので、今回はスルーします。ご興味があれば、襲撃当日の様子については、過去の拙稿「坂本龍馬没後150年。」で詳細に触れていますし、また、暗殺犯の諸説についても、「坂本龍馬没後150年の節目に再考する暗殺犯の諸説。その1」 「その2」 「その3」 「その4」で起稿していますので、よければ一読ください。


 慶応3年10月15日(1867年11月10日)、徳川慶喜から受けた大政奉還の上表を承認した朝廷でしたが、やはり慶喜が考えていたとおり、ただちに政権を運営できる能力が朝廷にはなく、どうにも手のうちようがありませんでした。したがって、ことごとに慶喜の意見を聞き、指示を仰ぎ、結局は政務を慶喜に委託するしかありませんでした。慶喜の思惑どおりにことが運んでいたといえるでしょう。

 薩摩を始めとする討幕勢力は、なんとしても諸大名を京都に召集し、列藩の衆議によって今後の政治のあり方を決定したいと考えていました。そこで朝廷は諸大名に京都参集を命じますが、旧幕府の顔色をうかがって容易に足並みが揃いません。大政奉還という事態を前にして、諸藩主がどう対処すべきか迷うのも、当然といえば当然のことだったでしょう。これを薩長の陰謀と考える藩主、あくまで幕府に対して忠節をまっとうすべしという藩主、あるいは病気と称して上京の延期を願い出る藩主、あるいは藩主に代わって重臣の上京を出願する藩主など、さまざまでした。

e0158128_17375658.jpg これでは諸藩主会議による国是決定など、とてもできるものではない・・・そう考えた討幕側は、こうした状況を打開するために、次なる手立てを画策します。それは、武力を背景として会津藩、桑名藩をはじめとする旧幕府勢力を政権から排除するという宮廷クーデターでした。いわゆる王政復古の大号令ですね。この計画を中心的に進めたのは、薩摩藩士・大久保利通岩倉具視。まず、大久保は討幕の盟約を結んでいる長州藩と芸州藩に京へ派兵するよう依頼し、自身もすぐさま藩地に帰って藩兵を促します。さらに大久保らは、土佐藩にも協力を仰ぎます。土佐藩は大政奉還論の中心的存在であり、彼らにクーデター計画を漏らすのは危険なことでしたが、しかし、土佐藩が反対側に立ってはあとあと面倒なことになると考えたのでしょう。

 大久保は西郷吉之助(隆盛)や長州藩士・品川弥二郎などと協議して、このクーデターの決行日を12月8日に決定します。列席者は薩摩藩を中心に、土佐・尾張・越前・安芸(広島の浅野)の5藩でした。長州藩は、長州戦争が正式に終結していないので、京都に兵力を動員できず参加できませんでした。また、西郷と大久保も下級藩士のため朝廷の会議には参加できません。クーデター実行部隊で会議に参加できるのは公卿である岩倉のみ。岩倉を会議に出席させるには、まず出仕を停止させられている岩倉の罪を解かなければなりません。

e0158128_11234954.jpg そして決行日の12月8日。この日、朝廷内では会議が開かれていました。その議題は、朝敵となっている長州藩主父子の罪の赦免と復位、先の八月十八日の政変によって追放されている三条実美を始めとした公卿の赦免についてでした。昼夜を通して行われた話し合いの結論は、長州藩主父子の罪の赦免が決定、罪人となっている公卿の赦免も認められ、このとき、蟄居の身であった岩倉具視の罪も解かれます。実はこの徹夜の会議は、そのために行われた伏線だったんですね。

 翌朝、朝議を終え摂政ら親幕府メンバーが御所から退出するのを待って、薩摩藩を初め5藩の藩兵が御所を封鎖しました。そして、たったいま罪を解かれたばかりの岩倉が、かねてから用意していた王政復古の大号令なる文書を読み上げ、これを天皇に献上しました。その内容は、徳川幕府を廃止すること、摂政などの旧制度を廃止し、代わりに総裁・議定・参与の3職を置くことなど。そして、ただちにその3職による会議を開きます。これが小御所会議と呼ばれる会合です。メンバーは岩倉のほか、越前藩主・松平春嶽、土佐前藩主・山内容堂、尾張藩主・徳川慶勝ら。3職でない西郷と大久保は、別室で控えていました。

 この会議のポイントは、徳川慶喜が出席していなかったことでした。春嶽、容堂、慶勝らは、幕府が廃止されても新政府の一員として慶喜が参加すると考えていました。彼らは事前にこの大号令のことは了承していましたが、まさか、慶喜抜きの展開になるとは考えていなかったんですね。3人は岩倉の示す新政府案に難色をしめします。特に容堂の反論は激しく、クーデター政権を批判します。さすがの岩倉も押されぎみになり、会議は一旦休憩に入ります。この休憩時間が、歴史を大きく変えることになるんですね。

e0158128_15131310.jpg 会議の経過の報告を受け、助言を求められた西郷が、「短刀一本で用は足りもす」と答えたという有名な話。要は「刺し違える覚悟で臨めばことは自然と開ける」といった意味の言葉だったのでしょうが、この言葉を聞いた岩倉は、「容堂と刺し違える覚悟で臨む」と周囲の者に言い放ち、それを聞いて驚いた土佐の後藤象二郎は、主君である容堂に伝えます。これには容堂もビビったようで、再開された会議の席では、容堂はすっかり沈黙のひととなってしまいます。これで全ては決着。新政府に慶喜を加えないこと、慶喜に幕府領を差し出させること、慶喜が就任していた内大臣の官職を辞退するよう要求することなどが決定します。ドラマでは、あえて容堂に聞こえるようにこの言葉を発していましたが、あるいは、実際にもそういった計算からの言葉だったかもしれません。ここに、討幕勢力のクーデターは成功します。


 このクーデターの最大の目的は、新政権から徳川家当主の慶喜を排除することにありました。しかし、これは、ごく普通の常識から考えて、筋が通ってないんですね。というのも、現状、新政権を誕生させる上での最大の功労者は、大政奉還を決断した徳川慶喜にほかならなかったわけです。しかし、ここで徳川家に新政権のイニシアティブを取られたのでは、何のためのクーデターだったのかわからない。新政権で薩摩藩が主導権を握るためには、まずはその最大のライバルであることが確実視される慶喜を排除する必要があったわけです。しかし、道理は容堂たちの主張のほうが正しい。となると、最後は「短刀一本あれば片が付く」という恫喝しかなかったのでしょう。


小御所会議だけで、めっちゃ長くなっちゃいました。

続きは明日、「その2」で起稿します。


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by sakanoueno-kumo | 2018-09-17 12:03 | 西郷どん | Trackback | Comments(0)  

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